ブラジル史(読み)ブラジルし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラジル史」の意味・わかりやすい解説

ブラジル史
ブラジルし

ブラジルは,1500年ポルトガルの提督ペドロ・アルバレス・カブラルの艦隊によって「発見」され,ポルトガル領となったが,最初資源や文明が見出せなかったため開発が見送られた。半世紀後カピタニア制の失敗と外国の侵略にそなえて総督制が採用され,1549年トメ・デ・ソーザが初代総督としてサンサルバドルに着任した。植民は東北部の砂糖産業の成功によって進められ,インディオ,黒人奴隷の労働力を基礎とした大農園エンゼーニョ繁栄が特徴となった。 17世紀前半フランス,オランダなどの侵略に悩まされたが,牧畜の発展とバンデイラの活躍が領域を拡張,1750年のマドリー条約により現在の領域のもとをつくった。 18世紀は金とダイヤモンドの産出でにぎわい,都市が発展し,総督府も 1768年リオデジャネイロに移った。 1807年ナポレオン軍の本国侵入により王室がブラジルに逃避し,本国と対等となり,急速な西欧化が進んだ。 1821年国王ジョアン6世 (温厚王) は本国に帰還摂政として残った皇太子ドン・ペドロ (のちのペドロ1世) が帰国命令を拒否,翌 1822年9月7日「イピランガの叫び」を行ない,帝国として無血裏に独立を達成。 1824年欽定憲法が発布されたが,絶対君主制的傾向をもったペドロ1世はブラジル人の反感を買い,1831年退位してポルトガルに去った。ペドロ2世の治世 (1831~89) 初期の摂政期は政局が安定しなかったが,コーヒー栽培の発展により財政が整い,奴隷貿易の禁止が産業革命を推進して移民も流入し,19世紀後半から著しい経済の発展がみられた。しかしパラグアイ戦争以前から問題となっていた奴隷制廃止が,1888年摂政イサベル皇女によって認められると,翌 1889年 11月少壮将校団を中心に共和革命が勃発,帝室はポルトガルに退去,1891年共和国憲法が制定され初代大統領にマヌエル・デオドロ・ダ・フォンセカ元帥が選出された。その後も政局は不安定で,サンパウロ州ミナスジェライス州の地主勢力が交互に政権を継承したが,その間に第1次世界大戦への参戦があった。戦後コーヒーブームと生産過剰による不況が起こり,世界恐慌の波はコーヒー価格の暴落と経済の混乱を招いた。 1930年大統領選挙に対する不満から革命が勃発,ゼツリオ・D.バルガスが政権を握った。バルガスは 1932年のサンパウロ州の反抗鎮圧,1934年に新憲法を制定,1937年これを修正して,1945年軍部に追放されるまで新体制と称する全体主義的独裁政治を行なった。 1956年ジュセリーノ・クビチェックが大統領となり積極的な工業化を進め,新首都ブラジリアを建設したがインフレが高進,1961年ジャニオ・クワドロスが大統領となり革新政策を打ち出したが,7ヵ月で辞任した。ショアン・グラール大統領は農地改革などを進めたが,1964年左傾化を恐れた軍部のクーデター失脚,その後ウンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ,アルトゥール・ダ・コスタ・イ・シルバ,エミリオ・ガラスタズ・メジシ,エルネスト・ガイゼル,ジョアン・バプティスタ・フィゲイレードの軍人政権が続いていたが,1985年民政に移行。 1993年4月の国民投票で現行の共和制の大統領制が支持された。

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