ブキャナン(英語表記)Buchanan, James

デジタル大辞泉 「ブキャナン」の意味・読み・例文・類語

ブキャナン(James Buchanan)

[1791~1868]米国の政治家。第15代大統領。在任1857~1861。民主党国務長官や駐英大使を歴任したのち、大統領に就任。奴隷制を支持する立場から再選を目指したが、1860年の選挙でリンカーンに敗北した。→リンカーン

ブキャナン(Buchanan)

リベリア中部の港町。米国第15代大統領ジェームズ=ブキャナンの名にちなむ。鉄鉱石、ゴム、木材を輸出。内陸のイェケパとの間に鉄鉱石搬出のための鉄道が敷設された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブキャナン」の意味・わかりやすい解説

ブキャナン
Buchanan, James

[生]1791.4.23. ペンシルバニア,マーサーズバーグ近郊
[没]1868.6.1. ペンシルバニア,ランカスター近郊
アメリカの政治家。第 15代大統領 (在任 1857~61) 。初めは弁護士,その後連邦派としてペンシルバニア州下院議員 (14~16) ,連邦下院議員 (21~31) ,ロシア駐在公使 (32~33) 。この頃から民主党員となり,連邦上院議員 (34~45) ,J.ポーク大統領のもとで国務長官 (45~49) をつとめた。 1853年イギリス駐在大使のときスペインにキューバの割譲を迫るオステンド宣言の起草に参加。 56年の大統領選挙で当選。みずからは奴隷制を悪としながら,アメリカの西部発展のため,准州での奴隷制への干渉に反対し,南北の妥協に努めたが,ことごとく失敗し,民主党の分裂を招いた。 60年南部諸州の連邦脱退が始ると,それを非難しながらも憲法に連邦脱退に関する条文がないことを理由に,武力を用いて離脱を阻止することはできないという立場を取った。

ブキャナン
Buchanan, George

[生]1506.2. スターリングシャー,キラーン付近
[没]1582.9.29. エディンバラ
スコットランドの学者。プロテスタント信仰のため D.ビートンに迫害され,大陸に逃れてフランスの大学で教え,次いでポルトガルにおもむいた。 1560年帰国してメアリー・スチュアートのラテン語の家庭教師をつとめた。しかしカトリック教徒の女王には批判的で,68年女王を審問したヨークでの法廷ではスコットランド側委員として出席。 70年幼王ジェームズ6世 (イングランド王としては1世) の家庭教師。のち,国璽尚書や議員にもなった。当代有数のラテン語学者で『スコットランド王国の法』 De Jure Regni apud Scotos (1579) で専制者への反逆を正当化したほか,『メアリー女王の真相』 Detectio Mariae Reginae (71) や,16世紀を扱った『スコットランド史』 Rerum Scoticarum historia (82) などを著わした。

ブキャナン
Buchanan, James M.

[生]1919.10.2. テネシーマーフリーズバラ
[没]2013.1.9. バージニア,ブラックスバーグ
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム James McGill Buchanan。テネシー大学卒業。シカゴ大学で博士号取得。ジョージ・メーソン大学の公共選択研究センターを設立,所長となる。「小さな政府」構想の支持者(→安価な政府)。ケインズ的マクロ財政政策に対する批判で有名。その分析手法として政治学と経済学の一体化を研究。利益団体や投票者の行動が政府予算の決定に強く反映することを指摘。政治的・経済的意思決定プロセスの分析に新しい手法を取り入れ,その構造を解明し,公共選択論の発展に先駆的役割を果たした。ゴードン・タロックとの共著『同意算定論』The Calculus of Consent(1962)は同理論の基礎文献である。理論経済学者としてはやや傍流に属する研究とも考えられていたが,その功績が認められ 1986年ノーベル経済学賞受賞。

ブキャナン
Buchanan, Franklin

[生]1800.9.17. メリーランドボルティモア
[没]1874.5.11. メリーランド,タルボット
アメリカの海軍軍人アナポリスの海軍兵学校設立に尽力し,初代校長となった (1845) 。 M.ペリーの日本遠征には旗艦『サスケハナ』号艦長として参加 (52~54) 。南北戦争の際には南部連合海軍で活躍,『メリマック』号を含めたチェサピーク湾艦隊を指揮し,1862年ハンプトンローズで北軍海軍の『カンバーランド』号と『コングレス』号を撃沈した。

ブキャナン
Buchanan, Sir George William

[生]1854.11.25. コペンハーゲン
[没]1924.12.20. ロンドン
イギリスの外交官。ビクトリア朝時代の典型的外交官。 1876年よりローマ,オランダなど各地で勤務したのち,1910年ロシア大使。英露協商を維持するために努力。第1次世界大戦勃発後はロシア内の親ドイツ的傾向と対抗,17年ロシア革命を体験。 18年1月イギリスに戻り,革命ロシアへの武力干渉を主張。 19~21年イタリア大使。

ブキャナン
Buchanan

別称グランドバサ Grand Bassa。リベリア中南部,大西洋にのぞむ港湾都市。 1963年に港湾施設が整備され,北部のニンバ山地の鉄鉱石地帯からの鉄道の完成に伴い,同国一の鉄鉱石輸出港となった。ほかにゴム,パーム油,パーム核を輸出。 68年にはアフリカ初の洗鉱,ペレット化の工場が建設された。人口2万 5000 (1988推計) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブキャナン」の意味・わかりやすい解説

ブキャナン
James Buchanan
生没年:1791-1868

アメリカ合衆国第15代大統領。在職1857-61年。ペンシルベニア州出身で民主党に所属し,駐ロシア大使,上院議員,国務長官,駐英大使を経て,1856年大統領に当選。南北の対立が奴隷問題その他をめぐって激化するなかで対立緩和に失敗し,南部諸州の連邦脱退という非常事態を招いたままリンカンに引き継いだ。1860年,日米修好通商条約批准のためワシントンを訪れた日本使節団を謁見したのは彼である。
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百科事典マイペディア 「ブキャナン」の意味・わかりやすい解説

ブキャナン

米国の政治家。第15代大統領(1857年―1861年)。民主党。駐ロシア大使,上院議員,国務長官等を歴任。奴隷制廃止論者だが南北対立激化の危機に際して十分指導力を発揮することができず,南部諸州の連邦脱退という危機をリンカンに引き継いだ。
→関連項目民主党(米国)

ブキャナン

米国の経済学者。非市場的な意思決定の経済的研究としての〈公共選択の理論〉の創始者。政治的な意思決定を,個々人は合理的で効用を最大化するという経済学の基本的仮定に基づいて分析した。主著《公共選択の理論――合意の経済論理》(1962年)。1986年ノーベル経済学賞。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブキャナン」の解説

ブキャナン
James Buchanan

1791〜1868
アメリカの第15代大統領(在任1857〜61)
1856年民主党から指名されて大統領に当選。北部の奴隷反対運動を抑えて奴隷制の温存をはかったが,1860年のサウスカロライナ州をはじめ南部諸州の分離問題を解決できず,南北戦争の勃発を阻止しえなかった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブキャナン」の解説

ブキャナン
George William Buchanan

1854~1924

イギリスの外交官。ブルガリア,オランダ大使をへて,1910年ロシア大使となった。カデットと近く,臨時政府に協力した。18年帰国。第一次世界大戦とロシア革命時代の回想録を残している。

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