フロリン金貨(読み)ふろりんきんか

世界大百科事典(旧版)内のフロリン金貨の言及

【貨幣】より

…この金貨には聖ヨハネの立像とフィレンツェの紋章であるユリの花が刻印されている。また,ベネチアでは1284年に聖マルコとキリストの立像を刻印したゼッキーノzecchino金貨が鋳造され,ベネチアの繁栄につれてフロリン金貨と優位を争った。フランスではルイ9世(1214‐70,在位1226‐70)治下に金貨の鋳造が始められたが,その鋳造数はわずかであり,むしろ,フランス金貨史の真の起点は1295年のフィリップ4世(1268‐1314,在位1285‐1314)の金貨鋳造にあるとされる。…

【金】より

…ヨーロッパでは銀貨が主として流通していたが,13世紀にはいってからヨーロッパでも金貨が鋳造されるようになった。経済力の強い国の金貨が最もよく受容されるようになったのは当然であり,13世紀半ばフロリン金貨(フローレンス)が抜群の地位を占めていた。16世紀になるとオランダが有力となり,リール金貨が〈世界貨幣〉となった。…

【紙幣】より

…これらの銀行の信用券は,たんにその受渡しによって鋳貨の受渡しを節約できたという便益のみならず,信用券のほうが現実に流通する鋳貨よりも価値の高い真実の鋳貨(それは現実にはもはや求めがたい場合が少なくなかった)を代表する債権でありうるので,とくにより好みされた。ヨーロッパ諸国の近代的貨幣は1252年創成のフィレンツェのフロリン金貨fiorino d’oroを模範とし,これに準拠して制定されたものが多かったが,当初所定の品位純分を満たして造られた鋳貨も流通中に滅失したり,偽造されたり,のちには政府みずからその実質価値を低くして鋳造することともなり,しかも諸国境を接して内外の鋳貨が混合する状態となれば,取引を行う場合にいかなる貨幣を基礎として評価し支払を行うかをそのつど決定する必要があった。いわんや国を異にする貿易の場合にはなおさらであろう。…

※「フロリン金貨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」