フレディ・マーキュリー(読み)ふれでぃ・まーきゅりー(英語表記)Freddie Mercury

知恵蔵 「フレディ・マーキュリー」の解説

フレディ・マーキュリー

英国のロックバンド「クイーン」のボーカリスト。1946年9月5日生まれ。卓越した歌唱力と独特のステージ・パフォーマンスは唯一無二で、ロカビリーからオペラバレエ、中東音楽まで、幅広い要素を取り入れた作詞・作曲能力も高く評価されている。代表作は、世界中でヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」(75年)、「伝説のチャンピオン」(77年)、「愛という名の欲望」(79年)、南米で人気の高い「ラブ・オブ・マイ・ライフ」(75年)など。91年11月24日、HIV合併症で亡くなってから四半世紀が過ぎた2018年、フレディの生涯を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が世界中で大ヒット。容姿出生、性的嗜好(しこう)に苦悩する姿と刹那(せつな)的な快楽におぼれる姿という二面性、ライブエイド(1985年)での圧巻のパフォーマンスが、国籍・性別・世代を超えて多くの人々の感動を呼んだ。
46年、フレディは英国領のザンジバル(現在はタンザニア)で、英国政府の出納係の長男として生まれた。戸籍名は、ファルーク・バルサラ。両親は、パールシーと呼ばれるペルシャ系の敬虔(けいけん)なゾロアスター教徒だが、英国植民地下のインドで生まれたため、British Indian(インドにルーツをもつ英国民)である。フレディも、8歳の時にゾロアスター教の伝統的な入門式を通過し、その後の約10年間は、両親の故郷インドのボンベイ(現在のムンバイ)郊外にある英国式の全寮制セント・ピーターズ男子校で学んだ。ここで仲間とロカビリー・バンド「ヘクティクス」を結成し、主にピアノを担当。この頃、フレディの愛称で呼ばれるようになった。63年にザンジバルに戻ったが、間もなく王政打倒の革命が始まったため、翌64年、親類がいるロンドンに一家で移住した。
ロンドンでは、工芸系のカレッジからイーリング芸術カレッジに進学し、69年にグラフィックアート・デザインの学位を取得し卒業した。在学中から複数のバンドを渡り歩いたが、70年4月、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーらが率いる学生バンド「スマイル」に加入。同年ライブ・デビューの前、フレディの提案でバンド名を同性愛者の隠語でもある「クイーン」に変更。フレディ自身も、バルサラからマーキュリーと名乗るようになった。享年46。

(大迫秀樹 フリー編集者/2019年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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