フリードリヒ1世(赤髯王)(読み)フリードリヒいっせい[あかひげおう](英語表記)Friedrich I, Barbarossa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フリードリヒ1世(赤髯王)
フリードリヒいっせい[あかひげおう]
Friedrich I, Barbarossa

[生]1122
[没]1190.6.10. 小アジア,キリキア
ドイツ王 (在位 1152~90) ,神聖ローマ皇帝 (在位 55~90) 。 1155年先王コンラート3世遺志により皇帝に選出された。即位後まずドイツ国内の治安確立に努め,次いでイタリアの諸都市 (→コムーネ ) に侵害されていた皇帝特権を回復するために,6回に及ぶ大規模な遠征を敢行。しかし帝国と教皇庁間の抗争があり,また反皇帝派都市も強力な同盟を結成してフリードリヒの遠征に備えた。 76年ロンバルディア同盟反抗にあい,レニャーノの戦いに敗れ和を結んだ。このほかポーランド,ハンガリー,ボヘミアなどには勢力を及ぼすことに成功。帝の晩年の大事件にザクセン大公ハインリヒ獅子公との対立がある。獅子公はドイツ最有力の諸侯であったが,帝に反抗,79年ついに帝はその封土没収に成功。こうしてフリードリヒ治世期に古い部族公の時代が終り,新しい帝国諸侯が登場することになった。総じて帝の権力は貴族と教会の支持に立脚していた。 89年十字軍を企図して小アジアに進軍し,キリキアで渡河中溺死した。数奇な生涯のため伝説的人物ともなっている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

フリードリヒ1世(赤髯王)(フリードリヒいっせい(あかひげおう))
Friedrich Ⅰ. (Barbarossa)

1122~90(在位1152~90)

ドイツ,ホーエンシュタウフェン朝第2代の神聖ローマ皇帝。その髯から赤髯(バルバロッサ)とあだ名された。シュヴァーベン公フリードリヒの子で,伯父の皇帝コンラート3世の死後諸侯の推薦により即位。ハインリヒ獅子公を追放してヴェルフェン家との確執決着をつけ,封建関係を整序し(ヘールシルト制),イタリア政策を推進してロンバルディア同盟と対立した。第3回十字軍に参戦したが,遠征先の川で不慮の溺死をとげる。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android