フリードリヒ・ウィルヘルム(読み)ふりーどりひうぃるへるむ(英語表記)Friedrich Wilhelm

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム
ふりーどりひうぃるへるむ
Friedrich Wilhelm
(1620―1688)

ブランデンブルク選帝侯在位1640~88)。ブランデンブルクプロイセン絶対主義の基礎を築いた君主で「大選帝侯」der Große Kurfürstとよばれる。三十年戦争の終結にあたってポメラニア東部やマクデブルクを獲得した。内政においては1644年常備軍を設置し、また枢密参議会を中心に中央官庁を整備して、雑多な領邦の集合体にすぎなかったブランデンブルク・プロイセンに統一的君主国体制を築いた。各地の身分制議会に拠(よ)って、これに抵抗する貴族勢力に対しては、武力で威圧して常備軍とそのための課税を認めさせたが、それと引き換えに、貴族の領内における特権を承認し、グーツヘルシャフトの発展に法的根拠を与えた。

[坂井榮八郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム
Friedrich Wilhelm

[生]1620.2.16. ケルン
[没]1688.5.9. ポツダム
ブランデンブルク選帝侯 (在位 1640~88) 。「大選帝侯」とも呼ばれる。ホーエンツォレルン家の出身。 1640年選帝侯となる。ウェストファリアの講和で東ポンメルンなどを得たほか,三十年戦争中に編成した軍隊を戦後も解散せず,ポーランドスウェーデンの戦争に乗じて,1660年のオリーバ条約で公領プロシアに対するポーランド王の宗主権を廃止することに成功した。ブランデンブルク=プロシアの中央集権的支配をいっそう強めるため,常備軍の建設と並行して,1660年代に諸州の等族会議から財政への干渉権を奪い,郡部には地租,都市には消費税の制度を確立することにより,軍事・官僚国家としてのプロシアの絶対王政に道を開いた。財政改善のため国内産業の育成に努め,亡命ユグノーを多く受け入れたことでも知られる。

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百科事典マイペディア の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム

ドイツのブランデンブルク選帝侯(1640年―1688年)。大選帝侯と呼ばれる。三十年戦争で荒廃した国土を復興,巧みな外交政策で領土を拡大し,ポーランドの宗主権を排除して後年のプロイセン王国の基盤を築いた。国内では官僚制の強化と常備軍の整備により絶対主義の先駆者となり,宗教的には新旧両派の和解に努めた。
→関連項目ベルリン

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