フリードリヒ(1世)(ドイツ国王、神聖ローマ皇帝)(読み)ふりーどりひ(英語表記)Friedrich Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フリードリヒ(1世)(ドイツ国王、神聖ローマ皇帝)
ふりーどりひ
Friedrich Ⅰ
(1125ころ―1190)

シュタウフェン朝2代目のドイツ国王(在位1152~90)、神聖ローマ皇帝(1155~90)。バルバロッサBarbarossa(赤髯(あかひげ)王)とよばれる。叔父コンラート3世の死後、後継国王に選ばれた。叙任権闘争以後弱体化したドイツ王権の強化を目ざし、とくに崩壊に瀕(ひん)したイタリアにおける支配権を再建すべく、精力的にイタリア政策を展開した。最初のイタリア遠征(1154~55)で皇帝として戴冠(たいかん)を受けたのち、ブルグント王国の相続人ベアトリクスと結婚(1156)、王国をふたたび帝国に編入し、さらに1158年から83年まで5回に及ぶイタリア遠征を行ったが、ロンバルディア都市同盟教皇、これを支援するシチリア王国の頑強な抵抗を受け、レニャーノの戦い(1176)で決定的敗北を喫し、和解を余儀なくされた。その際彼は巧みな外交手腕を示し、イタリアにおける皇帝の宗主権を承認させ、息子ハインリヒとシチリア王女コンスタンツェの結婚を実現させるのに成功した。国内では、シュワーベンを中心に多くの帝国直轄領を創設し、各地に都市建設を行って王権の経済的基礎を固め、他方巧みに国内諸侯勢力均衡を図りながら、国王を頂点とする封建的ヒエラルヒーに組み込んでいく政策を遂行した。最大の対抗勢力、ウェルフ家のザクセン大公ハインリヒ獅子(しし)公に対し、前王が没収したバイエルン大公領を返還、和解を図ると同時に、その一部をオーストリア大公領としてバーベンベル家に授封した。さらに、獅子公がザクセン領内で紛争を起こし、訴えられた機会をとらえて、失脚させるのに成功し、没収した大公領を解体・分割して諸侯に授封した。かくしてシュタウフェン朝の支配権を確立したのち、第3回十字軍に従軍したが、途中小アジアで水浴中溺死(できし)する非運にみまわれた。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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