フランツ・フェルディナント【Franz Ferdinand】
1864‐1914
オーストリア皇太子(1896‐1914)。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の甥。王位継承者としてオーストリア・ハンガリー二重帝国の衰退を憂え,南スラブ諸民族を加えた三重帝国による連邦国家への改革を構想し,青年層や軍部の支持を得て1913年陸軍の改革を行った。しかし,セルビア民族主義者の反感を買い,1908年に併合したボスニアのサラエボで,14年6月28日皇太子妃とともに暗殺され(サラエボ事件),第1次大戦の勃発となった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内のフランツ・フェルディナントの言及
【サラエボ】より
…彼らが1912‐13年のバルカン戦争に勝利すると,両者の緊張は極限に達する。そうした中で14年6月28日サラエボ郊外の大演習が行われ,観兵式の帰り,オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がミリャツカ河畔で暗殺された。第1次世界大戦の発端となったこのサラエボ事件の現場には,ピストルを構えた暗殺者ガブリロ・プリンツィプの足跡が残されている。…
【サラエボ事件】より
…1914年6月28日,オーストリアの帝位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が,ボスニア・ヘルツェゴビナの州都サラエボで暗殺された事件。フェルディナント夫妻は,オーストリア・ハプスブルク帝国軍の演習を観閲するために当地を訪問していた。…
※「フランツ・フェルディナント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報