世界大百科事典 第2版 「フランコ・フラマン派」の意味・わかりやすい解説
フランコフラマンは【フランコ・フラマン派 École franco‐flammande[フランス]】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…主要な作曲家の出身地がほとんどフランドル地方,すなわちベルギー,フランス北部,オランダ南西部を含む地域であったためにこの名称があるが,彼らはヨーロッパ各地で活躍,その音楽様式はヨーロッパ全体に広まっていた。かつてはネーデルラント楽派と呼ばれたこともあったが,狭義のネーデルラントがオランダのみを指すのに対し,この楽派にはオランダ出身の音楽家がきわめて少なく,したがってネーデルラントという用語は誤解を招きやすいので,近年はフランドル楽派,フランコ・フランドル楽派École franco‐flamandeなどと呼ぶのが一般的となっている。 フランドル楽派は,宗教的・世俗的声楽曲において,声楽ポリフォニーを推し進め,さらには器楽曲を開花させた。…
…これは,イタリア,ネーデルラント,ドイツの都市で経済力を得,教会,王侯と並んで芸術のパトロンとして成長した富裕な市民層の日常感覚の反映を示すものといえる。 国際ゴシック様式が最も典型的にみとめられるのは,フランス王侯の宮廷で,イタリア絵画の革新の成果と接触しながら制作したネーデルラント出身の工人たち,アンジュー公のためにタピスリー(いわゆる《アンジェの黙示録》)の下絵を制作したJ.バンドル,ブルゴーニュ公に仕えた板絵画家J.マルーエル,H.ベルショーズ,ベリー公に仕えた彫刻家A.ボーヌブー,写本装飾画家J.ド・エダン,ランブール兄弟など,〈フランコ・フラマン派〉と称せられる人々の作品である。彼らはギルドの束縛をはなれ,王侯の従僕として祝祭の装置から家具調度の修理まで美術の各分野にわたって幅広く活動している。…
… 14世紀後半には,フランドルがフランス王室の分家ブルゴーニュ公国に編入されたこともあって,フランスにおけるフランドル出身の写本装飾画家たちの活躍がめざましい。この,いわゆる〈フランコ・フラマン派〉の作品は,全体としてはいまだ装飾的であるにしても,細部の写実や線によらず光と色彩で対象を描写するやり方に新傾向を見せ,〈窓〉としての絵画への方向に大きく歩を進めている。ブルゴーニュ公国の首都ディジョン近傍シャンモールのカルトゥジア会修道院の祭壇厨子も,14世紀末フランドルに注文され,ヤコプ・デ・バールゼJacob de Baerzeが木彫の中央部を,ブルーデルラムMelchior Broederlamが翼画を制作した。…
※「フランコ・フラマン派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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