フォーテスキュー(読み)ふぉーてすきゅー(英語表記)Sir John Fortescue

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォーテスキュー」の意味・わかりやすい解説

フォーテスキュー
ふぉーてすきゅー
Sir John Fortescue
(1394?―1476?)

ばら戦争期のイギリスの代表的法律家、法学者。ランカスター朝に仕え、王座裁判所首席裁判官(1442~1461)を長年務める。1461年、ヨーク朝のエドワード4世が即位した際、ランカスター朝の王妃マーガレット、王子とともにフランドル亡命、主家の再興に努めるが、1471年敗北し捕らえられる。主著イングランド法の礼賛について』(1537刊)は1470年ごろ、王子の教育のために書かれたといわれる。1473年にエドワード4世の正統性を認めたため国王評議会のメンバーとなる。『イングランド王国統治について』(1714刊)は、このころの執筆といわれる。二つの著書は、フランスとの比較を通じてイングランドの法制度や立憲的政治を賛美している点で、その後のイギリスの「法の支配観念や民主主義思想の発展に大きく寄与したものとして高く評価されている。

田中 浩]

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改訂新版 世界大百科事典 「フォーテスキュー」の意味・わかりやすい解説

フォーテスキュー
John Fortescue
生没年:1394?-1476?

イギリスのばら戦争期の法律家。裁判官として最高職に当たる王座裁判所首席裁判官(1442-61)の際,ランカスター朝がヨーク朝に替わり,私権剝奪され,マーガレット王妃らと共にスコットランド,さらにフランドルに亡命。ランカスター朝復興に努力するが,敗れて捕らえられ,のち恩赦を受けヨーク朝のエドワード4世の正統性を認め,その国王評議会成員となる。亡命中の1470年ころ王子の教育のために書いた《イングランド法の礼賛について》(1537刊),および《イングランド王国の統治について》(1714刊)等の著作があるが,両著で英仏を比較しつつイングランドの法および立憲的政治を賛美している点は,後世に多大の影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォーテスキュー」の意味・わかりやすい解説

フォーテスキュー
Fortescue, Sir John

[生]1385頃.サマセット,ノリス
[没]1479頃.グロスターシャー,エブリントン
イギリスの法律家。リンカーンズ・インで法律を学び,1442年には王座裁判所の首席裁判官,翌年ナイト。ランカスター派に属し,バラ戦争にかかわったが,61年ヘンリー6世とともにスコットランド,さらに 63年マーガレット王妃とともにフランスに亡命,71年再び王妃とともに帰国した。同年ヨーク派の王エドワード4世に帰順,恩赦を受けて,枢密院議員となった。フランス亡命中に著わした『英法賛美論』 De laudibus legum Angliae (1470/1) は,イギリス法,特にイギリスの統治制度をフランス法と比較しながら,その特徴を初心者にも理解できるように解説したもの。

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