フォークランド諸島(読み)フォークランドしょとう(英語表記)Falkland Islands

翻訳|Falkland Islands

精選版 日本国語大辞典 「フォークランド諸島」の意味・読み・例文・類語

フォークランド‐しょとう ‥ショタウ【フォークランド諸島】

(フォークランドはFalkland) 大西洋南西部、南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡の東方五〇〇キロメートルにある諸島。東西両フォークランド島を主島とし、約二〇〇の小島からなる。牧羊が主な産業。中心都市はスタンリーイギリスアルゼンチン双方が領有権を主張し、一九八二年、両国間で領有をめぐっての紛争が起こった。アルゼンチン名マルビナス諸島

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「フォークランド諸島」の意味・読み・例文・類語

フォークランド‐しょとう〔‐シヨタウ〕【フォークランド諸島】

Falkland》南大西洋西部、マゼラン海峡の東方にある諸島。主島は東西2島で、東フォークランド島に中心都市スタンリーがある。英国領。アルゼンチンも領有権を主張しており、1982年にはフォークランド紛争が起こった。人口3140人(2008)。マルビナス諸島。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「フォークランド諸島」の意味・わかりやすい解説

フォークランド[諸島]
Falkland Islands

南アメリカ大陸の南部,パタゴニア沖400kmの南大西洋に浮かぶ諸島。英語での正式名称はFalkland Islands and Dependencies。面積1万2173km2,人口2913(2001)。1833年以来イギリスの属領とされてきたが,現在に至るまでアルゼンチンとの領有問題で係争が続いている。アルゼンチン名はマルビナス諸島Islas Malvinasである。おもな島は東フォークランド島(アルゼンチン名ソレダード島)と西フォークランド島(マルビナス島)で,周りに200余の小島がある。主都スタンリーは東フォークランド島にあり,人口1989(2001)である。住民の大半はイギリス系。寒冷な気候で西風が強く,岩がちな荒涼たる地形から成る。主要産業は牧羊業で,羊は6万頭をこえる。経済はイギリス向け羊毛輸出に依存し,皮革,獣脂も若干輸出するほか,航行・捕鯨の基地としても重要である。牧羊業,貿易の大半が1851年設立のフォークランド諸島会社などイギリス系企業によって営まれてきた。また近年,沿岸の石油資源水産資源が注目を浴びつつある。

同諸島の領有権をめぐるイギリス,アルゼンチン両国の係争の歴史は19世紀にさかのぼる。イギリス側は1592年イギリス人航海士ジョン・デービス到来し,1690年イギリス人フォークランド卿にちなみ同諸島に命名した。1774年経済的理由で同諸島のイギリス人居住地を撤去したが,1833年イギリス人が再度入植,43年イギリス総督府を設置して総督を任命したことによって,現在に至るまでイギリス領であると主張する。第1次大戦中の1914年12月8日,同諸島沖でイギリスとドイツの海戦が行われた。他方,アルゼンチン側は同諸島へは16世紀前半すでにスペイン人かポルトガル人が到来,1774年にはスペインの総督府を設け,1816年スペインからの独立により同諸島はアルゼンチン領に組み入れられたとする。領土問題は1964年国連に提訴され,65年の国連総会で平和的領土交渉の開始が決議された。しかし交渉がはかどらないまま,75年イギリスのシャックルトン調査団が同諸島の資源・経済調査を行い,両国の大使引揚げを招いた。79年に大使交換が再開されたが,それもつかのま,82年4月2日アルゼンチンは同諸島へ侵攻し,フォークランド戦争が勃発した。最新型の兵器による戦闘で,両国は多大の人命戦費を失い,同年6月14日アルゼンチンの敗戦が決定した。両国間の同諸島領有問題は戦後も継続し,外交交渉にゆだねられることになった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォークランド諸島」の意味・わかりやすい解説

フォークランド諸島
フォークランドしょとう
Falkland Islands

南大西洋南西部にある島群。スペイン語ではマルビナス諸島 Islas Malvinas。南アメリカ大陸南端部東岸の沖合い約 500kmに位置し,主島イーストフォークランド島(6760km2)とウェストフォークランド島(5413km2)のほか約 200の小島からなる。東南東約 1300kmにあるサウスジョージア島,およびその南東約 750kmにあるサウスサンドウィッチ諸島を属島としてイギリスの自治海外領を構成,イーストフォークランド島北東岸に首都スタンリーがある。両主島とも地形は比較的平坦で,北部に低い山脈が連なり,最高点 705m。リアス海岸が発達し,天然の良港が多い。住民は大部分がイギリス系。気候は温帯性であるが,年間を通して西風が強い。
1592年イギリス人航海者ジョン・デービスが発見したといわれる。1764年イーストフォークランド島にフランス人が,1765年にウェストフォークランド島にイギリス人が植民地を建設したが,ウェストフォークランド島は一時スペイン軍に占領されたのち 1774年に,イーストフォークランド島はスペインに売却されたのち 1806年に放棄された。その後 1816年スペインから独立したアルゼンチンがスペインの領有権を引き継ぐことを主張,1820年旧フランス植民地を占領。しかし 1833年イギリス軍が上陸,アルゼンチン人を追放してイギリスの領有を確立。以後イギリス領となっているが,アルゼンチンは領有主張を続け,1982年4月武力をもって占領。これに対しイギリスは艦隊を派遣。イギリス軍によるスタンリー攻囲ののち,6月半ばアルゼンチン軍は降伏した(→フォークランド戦争)。1989年イギリスとアルゼンチンは敵対関係の終結を宣言,1990年2月国交を回復したが,4月アルゼンチン連邦議会はフォークランド諸島および南大西洋のイギリス領の島々を,新設されるティエラ・デル・フエゴ州に含めることを宣言しており,領有問題は決着していない。2013年住民投票が行なわれ,島民のほとんどが,イギリスへの帰属を支持した。
経済はほぼ全面的に牧羊および羊毛生産に依存。近年経済の多角化がはかられ,観光業の発展にも力が入れられている。1971年アルゼンチン政府との間に結ばれた協定に基づき,スタンリーとアルゼンチンの南部のコモドロリバダビアとの間に週 1便の定期航空便が就航。面積 1万2200km2。人口 2563(2012,イギリス軍人を除く)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォークランド諸島」の意味・わかりやすい解説

フォークランド諸島
ふぉーくらんどしょとう
Falkland Islands

南アメリカ大陸最南端、ホーン岬の北東770キロメートルの大西洋上にあるイギリス領の諸島。別称マルビナスMalvinas諸島。東フォークランド島(面積6630平方キロメートル)と西フォークランド島(面積4550平方キロメートル)の二つの主島および大小200以上の島々からなる。面積1万2173平方キロメートル、人口2564(1996)。中心地は東フォークランド島東岸のスタンリー。寒冷多雨気候のため樹木は育たず、農業は牧羊が中心で、羊毛をイギリス本土に輸出している。1984年産業開発公社が設立され、漁業や畜産物加工を奨励している。イギリスからはアセンション島経由で週3回の航空便がある。

 1592年イギリス人のデービスが到達し、1764年フランス人が、翌65年イギリス人が入植した。1770年スペインがフランス人領土を手に入れイギリス人を駆逐した。さらに1806年アルゼンチンがスペインを追い払い主権を宣言(1820)したが、イギリスは認めず1833年イギリスの直轄植民地とした。

 1982年4月2日、アルゼンチン軍が突然フォークランド諸島に侵入しイギリス総督を追放した。翌日開かれた国連安全保障理事会では、アルゼンチン軍の撤退を可決したが、アルゼンチンは譲らず、イギリスとの間で戦争となった。イギリスは大機動部隊を派遣し、激戦の結果6月14日同島を奪回した。

[林 晃史]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

知恵蔵mini 「フォークランド諸島」の解説

フォークランド諸島

南米アルゼンチン沖の南大西洋上にある英国領の約200の島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)。スペインから独立したアルゼンチンが1820年にスペイン領だった同諸島の領有権を主張したが、33年から英国が実効支配を続けており、住民の多くは英国系である。1982年にアルゼンチンが侵攻したが英国に敗退した(フォークランド紛争)。近海に油田があるとされ、領土問題の一因となっており、2013年現在もアルゼンチンが領有権を主張している。

(2013-1-16)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「フォークランド諸島」の解説

フォークランド諸島(フォークランドしょとう)

マルビナス(フォークランド)諸島

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフォークランド諸島の言及

【ブーゲンビル】より

…1756年にカナダへ行き,副官としてイギリスとの戦争に加わった。戦後は自費で南大西洋のフォークランド諸島に入植地を建設したが,67年にスペインに譲り渡すことになり,この代償としてフランス初の太平洋探検隊の隊長のポストを得た。1766‐69年ブドゥーズ号でフランス人としては初の世界一周を果たした彼は,ソロモン諸島北西端の島とその南側の海峡にその名をとどめている。…

※「フォークランド諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android