フォンターネ(英語表記)Theodor Fontane

デジタル大辞泉 「フォンターネ」の意味・読み・例文・類語

フォンターネ(Theodor Fontane)

[1819~1898]ドイツ小説家ベルリンの市民生活を写実的に描き出した。作「嵐の前」「エフィ=ブリースト」「シュテヒリン湖」など。

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精選版 日本国語大辞典 「フォンターネ」の意味・読み・例文・類語

フォンターネ

(Theodor Fontane テオドール━) ドイツの小説家。リアリズムに徹した作風で、一九世紀後半のベルリンの市民生活のありさまを描いた。代表作「エフィ=ブリースト」「シュテヒリン湖」など。(一八一九‐九八

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改訂新版 世界大百科事典 「フォンターネ」の意味・わかりやすい解説

フォンターネ
Theodor Fontane
生没年:1819-98

ドイツ写実主義の小説家。ベルリンの北西約50kmのノイルピンのユグノーの家庭に生まれる。最初父と同じ道を選び,薬剤師となったが,ベルリンで三月革命を体験,これを契機にジャーナリストになる決意をし,1855年から4年間プロイセン政府の新聞局記者としてロンドンに駐在した。帰国後も《クロイツ新聞》の編集に携わり,また《フォス新聞》の劇評欄をも担当,ジャーナリストとしての活躍が続いた。1844年文人クラブ〈トンネル〉に入会のころからすでに物語詩の創作を試み,イギリスやスコットランドの詩文学を研究してその影響を受け,《詩集》(1851),《物語詩》(1861)を発表していたが,本格的な作家活動に入ったのは50歳も半ばを過ぎてからであった。最初の長編小説《嵐の前》(1878)を皮切りに,《迷路Irrungen,Wirrungen》(1888),《イェンニー・トライベル夫人》(1892。邦訳《つくられた微笑》),《エフィ・ブリースト》(1895。邦訳《罪のかなた》)など,18編の小説を晩年の20年間に集中的に書いた。これらは〈社会小説Gesellschaftsroman〉と称されるもので,貴族社会が内部崩壊し,新興の市民社会の時代へ移りゆく姿が,そのいずれにもくみせぬ冷徹な観察者の目で眺められ,人間の弱さにも理解を持つ真のリアリストの立場から描かれている。そして登場人物の会話を中心に据え,それによってその人物の性格や人生観に至るまで描き込む小説手法は語りの芸術の最高峰とされ,次代のトーマス・マンに継承された。またこれらの小説のほとんどはベルリンを舞台とし,当時の風物を忠実に伝えている点で,都市小説としても評価が高く,《ブランデンブルク散歩》(1862-82)は直接郷土の地誌風物を記した優れた紀行文学である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォンターネ」の意味・わかりやすい解説

フォンターネ
ふぉんたーね
Theodor Fontane
(1819―1898)

ドイツの市民的リアリズムを代表する小説家。プロイセンの首都ベルリンに近いノイルピンでフランス系亡命新教徒(ユグノー)の家に生まれる。父の生業を継いで薬剤師となったが、早くから文学に志し、『物語詩集』(1861)、『マルク・ブランデンブルク周遊記』全四巻(1862~82)など、詩人・ジャーナリストとして少なからぬ収穫をあげたのち、59歳という高齢になって長編歴史小説『嵐(あらし)の前』(1878)で小説家として登場した。以後刊行された長短16編の小説は、大部分が作者と同時代、19世紀後半の社会と人間をとらえたもので、なかでもベルリンとその周辺を舞台とする作品が優れている。比較的短い『不貞の女』(1882)、『セシール』(1887)、『迷誤』(1888)、『スティーネ』(1890)、および長大な『ジェニー・トライベル夫人』(1892)、『エフィ・ブリースト』(1895)、『シュテヒリン湖』(1898)などである。しばしば男女関係の不均衡とその破綻(はたん)を扱いながら、貴族(ユンカー)、商工業者、庶民、インテリといった多彩な登場人物が交わす機知あふれる会話のなかで、プロイセン=ドイツの現実が抱える矛盾を重層的にえぐり出しているのが特徴で、その作風には現代文学への架橋という点でも注目すべきものがある。

[立川洋三]

『立川洋三訳『シュテヒリン湖』(1984・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォンターネ」の意味・わかりやすい解説

フォンターネ
Fontane, Theodor

[生]1819.12.30. ノイルピーン
[没]1898.9.20. ベルリン
ドイツの詩人,小説家,劇評家。フランスから亡命したユグノー派の家系に生まれ,薬剤師を経てジャーナリストとなる。後期リアリズムの抒情詩や『男たちと英雄たち』Männer und Helden(1850)や『バラーデン』Balladen(1861)などの物語詩(→バラード)で好評を得たのち,59歳で最初の小説『嵐の前』Vor dem Sturm(1878)を発表。以後主としてプロシア時代のベルリンを舞台に,社会矛盾にゆがめられた人間関係を,風刺的ではあるが同情に富む自然主義的手法で描いた。対話の口調にのせ,語られることばのやりとりによって情景や性格をそっくり写し出すことに卓越しており,会話の巨匠ともいわれた。『イェンニー・トライベル夫人』Frau Jenny Treibel(1893),『エフィ・ブリースト』Effi Briest(1895),『シュテヒリーン』Der Stechlin(1899)などがある。劇評家としては,無名のゲルハルト・ヨハン・ローベルト・ハウプトマンの才能をいちはやく評価した。

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百科事典マイペディア 「フォンターネ」の意味・わかりやすい解説

フォンターネ

ドイツの小説家。薬剤師になり,その後新聞記者を長く務め,59歳で最初の長編《嵐の前》を発表した。《迷路》《エフィ・ブリースト》その他,市井の小事件や人物の運命を写実的に描きながら,その小さな波紋をとおして歴史的事件や社会的問題の本質を的確にとらえている。《物語詩》(1861年),《ブランデンブルク散歩》(1862年―1882年)などもある。

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