ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォンタナ」の意味・わかりやすい解説
フォンタナ
Fontana, Carlo
[没]1714.2.5. ローマ
イタリア後期バロックのローマ派建築の指導者。 P.コルトナ,C.ライナルディにつき,おもにローマで仕事をした。 1660~70年代には特に G.ベルニーニの助手として活躍,ポポロ広場のサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ聖堂などを完成。 1667年,ローマのサン・ルカのアカデミア会員。 90年代にはサン・ピエトロ大聖堂の建築総監に任命され,ベルニーニ設計の広場拡張などを計画。かたわら J.フィッシャー・フォン・エルラハ,J.ヒルデブラント,J.ギブズらを育て,また『バチカンの聖堂』 Templum Vaticanum (1694) など多くの著述を通じて,イギリスやオーストリアのバロック建築に大きな影響を与えた。作品はイグナチウス・デ・ロヨラ大学 (81,ロヨラ) ,サン・マルチェロ・アル・コルソ聖堂のファサード (83頃) ,バレのサンタ・マリア聖堂,サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチボ礼拝堂 (83~87) など。
フォンタナ
Fontana, Lucio
[没]1968.9.7. ミラノ
アルゼンチン出身のイタリアの彫刻家。イタリア人の両親のもとに生まれ,ミラノのブレラ美術学校で彫刻を学んで,1934年からパリの「アブストラクシオン・クレアシオン」グループに参加。 1939年アルゼンチンのブエノスアイレスで「白の宣言」を発表。 1946年ミラノへ帰り,空間主義を唱えて空間派を結成。曲線状のネオン管を天井につるすといった,光による環境的作品を発表し,画面を刃物で切り裂いたり,球体に裂け目をつくるなど,造形空間における正と負の関係を追究した抽象作品を制作。 1949年以降の作品のほとんどは『空間概念』 (大原美術館ほか) と名づけられた。イタリアの若い美術家に与えた影響が大きい。
フォンタナ
Fontana, Domenico
[没]1607. ナポリ
イタリアの建築家。教皇シクスツス5世の建築家として,現在のローマ市の基礎となるローマの都市計画を立て,ローマの有名な聖堂間を直結する道路,水道アクア・フェリーチェ (1587) ,噴水カトロ・フォンタナ,パラッツォ・ラテラーノ (86) ,バチカン宮殿の図書館 (87~90) などを建設したほか,ネロ帝の競技場跡からサン・ピエトロ広場にオベリスクの移建を行なった (86) 。また G.ポルタとともにサン・ピエトロ大聖堂のドームを完成 (88~90) 。 1592年教皇クレメンス8世にローマを追われナポリに移住し王室建築家として活躍,ナポリ王宮 (1600~02) などを手がけた。
フォンタナ
Fontana, Prospero
[没]1597. ボローニャ
イタリアの画家。 I.イーモラに学んだのち,ジェノバ,フィレンツェ,ローマで P.バーガ,G.バザーリ,T.ツッカーリの助手をつとめ,マニエリスムの作風を踏襲。 1540年以降ボローニャに定住,60年頃フォンテンブローで F.プリマティッチオのもとで働いた。作品『聖アレスシオ』 (1576,ボローニャ,サン・ジャコモ・マジョーレ) 。また娘のラビーニア (52~1614) は肖像画家として有名で,教皇グレゴリウス8世の宮廷画家。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報