フォトセセッション(英語表記)Photo Secession

改訂新版 世界大百科事典 「フォトセセッション」の意味・わかりやすい解説

フォト・セセッション
Photo Secession

1902年,A.スティーグリッツによって設立された写真集団。単に〈セセッション〉ともいう。彼は,当時建築や美術で展開された新しい芸術運動である〈ゼツェッシオン〉に刺激されて,写真芸術の独自の確立を目ざした自らの運動を〈フォト・セセッション〉と名づけた。他のメンバーは,バロックJohon G.Bullock,ダイアーWilliam B.Dyer,ユージンFrank Eugene(1865-1936),フューギュDallet Fuguet,ケーゼビアGertrude Käsebier,キーリーJoseph T.Keiley,レッドフィールドRobert S.Redfield,ワトソン・シュッツEva Watson-Schütze,E.スタイケン,スターリングEdmund Stirling,ストラウスJohn Francis Strauss,ホワイトClarence H.White(1871-1925)らである。彼らは,絵画に追従して写真の芸術性を求める人たちに異議唱え,写真はただ写真であることだけで十分に芸術でありうるということを主張した。ゴム印画法やオイル印画法などによる手を加えたピクトリアリズムの写真もストレートな写真も,その技法ゆえに芸術性をうんぬんすることではなく,そこになんらかの芸術的な感動を呼び起こすものがあるかどうかということだけが重要であると考えた。機関誌《カメラ・ワークCamera Work》を発行し,フォト・グラビアによる写真を掲載,独自の芸術論を展開した。また小ギャラリーニューヨークの五番街291番地にあったため〈291ギャラリー〉と呼ばれた)を運営し,アメリカにおけるモダン・アート拠点ともなった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフォトセセッションの言及

【スタイケン】より

…彼は写真に,役に立つものと芸術的なものとを同時に見,それが写真への深い興味となり,生涯にわたる写真へのかかわり方の原点となった。第1次世界大戦までのスタイケンは,A.スティーグリッツらとともに〈フォト・セセッション(写真分離派)〉の設立メンバーとして活躍,写真芸術の推進者として彫刻家ロダンをその彫刻と組み合わせて撮ったポートレート(1902)など,数々の絵画的な写真の名作を残した。第1次世界大戦中にはアメリカ空軍の航空写真班として従軍,その体験は写真のもつ機能というものにさらに眼を開かせることとなった。…

【スティーグリッツ】より

…19世紀の絵画の模倣(ピクトリアリズム)が中心であった写真を脱し,写真独自の道を切り開いて,〈近代写真〉の基礎を築いた人物として知られる。彼はベルリンの工科大学留学中に写真に興味を持ちはじめ,帰国したのちアマチュア写真家の機関誌の編集などに携わっていたが,1902年,写真芸術の確立を目ざして〈フォト・セセッション(写真分離派)〉運動をおこした。これは,どんなに絵画的な写真であろうともそれを,絵画との関係の中でとらえるのではなく,L.ダゲールやW.タルボット,D.O.ヒルなどに始まる写真独自の様式と表現法の中でとらえようとしたのであった。…

※「フォトセセッション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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