フィリップス(英語表記)Anton Philips

デジタル大辞泉 「フィリップス」の意味・読み・例文・類語

フィリップス(Koninklijke Philips Electronics N.V.)

ヨーロッパの総合電機会社。1891年オランダで設立。経営内容は家電・通信・医療システム・防空システムなどに及ぶ。

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改訂新版 世界大百科事典 「フィリップス」の意味・わかりやすい解説

フィリップス
Anton Philips
生没年:1874-1951

オランダの企業家で,フィリップス・グロエランペンファブリケン社(フィリップス社)の経営者であった。ザルトボンメルのタバコ事業家の子として生まれた。商業学校で学んだのち,株式仲買の会社に入り,さらにロンドンで取引を修業した。父フレデリックFrederik Philipsとデルフト工科大学で学んだ技術者であった兄ヘラルドGerald Philipsは,1891年にアイントホーフェンで電球製造のためにフィリップス社を設立した。しかしフィリップス社の電球は,ヨーロッパ各地の販売代理店に問題があったので,ジーメンス社やAEG(アーエーゲー)社との競争に敗れた。そのためアントンがロンドンから呼び戻されて,フィリップス社の経営にあたった。彼はヨーロッパ各地をまわり,すぐれた経営手腕を発揮して同社をたてなおした。第1次世界大戦中には,ドイツやオーストリアから電球用ガラスを買えなくなり,自給のためガラス工場を設立した。オランダは第1次大戦で中立であったので,国際市場におけるフィリップス電球のシェアは増大した。ヘラルドは1922年に引退し,フィリップス社の経営はアントンにゆだねられた。軍備上の必要から,フィリップス社は無線機器の製造にのりだした。また,アントンはラジオ放送の発展を確信して,ラジオ機器の生産につとめるとともに,24年に始まったオランダにおける放送事業にも参加した。フィリップス社の研究部門は,ナトリウムランプなどの放電灯の開発においてすぐれた業績をあげた。こうしてフィリップス社は,ヨーロッパ各国をはじめアメリカ子会社をもつ,ヨーロッパで最有力の電気機器メーカーとなった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィリップス」の意味・わかりやすい解説

フィリップス
Koninklijke Philips N.V.; Royal Philips

オランダを本拠とするヨーロッパ最大の総合電機メーカー。1891年にフレデリック・フィリップス,ジェラルド・フィリップス父子が設立した電球製造会社フィリップス・アンド・カンパニーが前身で,のちにジェラルドの弟アントンも経営に参加,1912年改組して現社が設立された。1925年 X線装置を開発して医療機器,医薬品分野へ進出,1927年ラジオ受信機を開発,1930年代にはガス入り電球,蓄音機トーキー映写機(→トーキー)に進出。この間積極的に国際展開し海外子会社を次々に設立。第2次世界大戦後はケイ光ランプ,テレビなどにも進出し,ヨーロッパ各国の市場を占有,その営業活動はほぼ全世界に及ぶ。1971年に世界初のビデオカセットレコーダを発表したが,市場展開が遅れ,日本企業の後塵を拝した。次いで投入したビデオディスクもふるわなかったが,ソニーとともに開発したコンパクトディスク CDは世界の音響機器市場を席捲した。事業内容は,一般・産業用照明および自動車用ランプの照明部門,携帯電話などパーソナル通信機器を含む家電部門,および X線撮影装置を主力とする医療部門からなる。自動車用設備部門は 1998年に,オーディオ・ビデオなどの音響機器部門と半導体部門は 2006年に売却。

フィリップス
Phillips, William D.

[生]1948.11.5. ペンシルバニア,ウィルクスバレ
アメリカ合衆国の物理学者。フルネーム William Daniel Phillips。1976年マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。アメリカ国立標準技術研究所教授。空中を飛び回る原子にレーザー光をあてて静止させとらえる方法を研究していた 1985年,スタンフォード大学のスティーブン・チューがドップラー冷却法によってナトリウム原子を絶対温度で 240μK(マイクロケルビン。1μK=100万分の1K)まで冷却することに成功したのをうけて,実験に参加,磁場とレーザー光を使って 40μKまでの冷却に成功した。さらにコレージュ・ド・フランスの クロード・コーエンタヌジが理論的な解析を加えて,ヘリウム原子を限界以下の 0.18μKまで冷却し,ほぼ静止させた。3人の成功は原子光学ともいうべき新分野を切り開くもので,原子時計の精度をさらに向上させ,それによって加工や測定の可能性を広げた。3人の功績に対し 1997年ノーベル物理学賞が授与された。

フィリップス
Philippus

8世紀の対立教皇(在位 768.7)。教皇パウルス1世(在位 757~767)の死後,多くの世俗権力者が教皇座獲得をもくろみ,ネピ司教区のトート公は弟をコンスタンチヌス2世(対立教皇。在位 767~768)として登位させた。また,ローマに軍隊を送ってコンスタンチヌス2世を退位させたランゴバルド王デシデリウス(在位 756~774)は,一部のローマ人の支援を受け,768年7月にサン・ウィート修道院の修道士フィリップスを教皇として即位させた。しかしすぐに退位させられ,768年8月,ステファヌス3世(4世。在位 768~772)が正式に教皇となり,フィリップスは修道院に隠退した。

フィリップス
Phillips, Wendell

[生]1811.11.29. マサチューセッツボストン
[没]1884.2.2. マサチューセッツ,ボストン
アメリカ合衆国の法律家,社会改革者。ハーバード大学卒業。熱烈な奴隷制廃止論者として各地で講演,その雄弁は当時随一のものであった。奴隷制廃止論者ウィリアム・L.ギャリソンを支持し,奴隷制廃止運動と政治との結合に反対。南北戦争中,奴隷制即時廃止をためらったエブラハム・リンカーン大統領を攻撃。奴隷制廃止後は女性参政権,禁酒,労働問題,刑務所改善,アメリカインディアン保護運動などで活躍。

フィリップス
Phillips, David Graham

[生]1867.10.31. インディアナ,マディソン
[没]1911.1.24. ニューヨーク
アメリカのジャーナリスト小説家シンシナティで記者をしたのち,『ニューヨーク・トリビューン』など数紙の編集に従事。社会悪を暴露する「マックレーカーズ」の一人で,『上院の大逆』 The Treason of the Senate (1906) などのほか,『スーザン・レノックス』 Susan Lenox (17) など 23編の問題小説を書いた。

フィリップス
Phillips, Stephen

[生]1864.7.28. オックスフォードシャー,サマータウン
[没]1915.12.9. ケント,ディール
イギリスの詩人,劇作家オックスフォード大学を中退して劇団に身を投じ,その体験に基づいた『パオロとフランチェスカ』 Paolo and Francesca (1900) ,『ヘロッド』 Herod (01) などの詩劇を残した。『詩集』 Poems (1897) もある。

フィリップス
Philipse, Frederick

[生]1626.11.6. フリースランド
[没]1702
アメリカ植民地時代のニューヨークの商人。 1647年頃オランダからニューアムステルダムへ移民。インディアンとの交易,貝殻玉製造,奴隷貿易などで富をなした。ハドソン川沿岸の広大な土地を所有し,93年フィリップスバーグの荘園をつくった。

フィリップス
Phillips, Edward

[生]1630
[没]1696頃
イギリスの著作家。詩人ミルトンの甥。英語辞典『言葉の新世界』 The New World of Words (1658) や古今の詩人のリストに短評を添えた『詩人群像』 Theatrum Poetarum (75) の著者。

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百科事典マイペディア 「フィリップス」の意味・わかりやすい解説

フィリップス

米国の社会改革家,弁論家。奴隷廃止論者として活躍。南北戦争後は禁酒運動,死刑廃止,インディアン・婦人・労働者の権利擁護に努力した。

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