フィデル カストロ(英語表記)Fidel Castro

現代外国人名録2016 「フィデル カストロ」の解説

フィデル カストロ
Fidel Castro

職業・肩書
革命家,政治家キューバ国家評議会議長(元首),元キューバ革命軍最高司令官

国籍
キューバ

生年月日
1926年8月13日

出生地
オリエンテ州マヤリ

本名
カストロ・ルス,フィデル〈Castro Ruz,Fidel Alejandro〉

学歴
ハバナ大学法学部〔1950年〕卒

受賞
国際レーニン平和賞〔1961年〕,国際陸連功労金賞,WHOヘルス・フォーオール〔1998年〕,カダフィ人権賞〔1998年〕

経歴
砂糖農園主の子として生まれる。大学卒業後、弁護士開業。在学中から内外の革命運動に参加。1953年7月26日バチスタ独裁政権打倒を目指し、サンティアゴモンカダ兵営襲撃したが、失敗して投獄される。’56年釈放されメキシコ亡命。同年12月反乱軍を率いてキューバに上陸ゲリラ戦を展開。’59年1月ラテン・アメリカで最初の社会主義革命に成功。同年2月〜’76年12月首相。アメリカ資本に支配されていた土地・産業の国有化を図り、’61年2月国家経済会議を指導する中央計画委委員長。’62年3月以来革命統一組織(’63年社会主義革命統一党,’65年10月キューバ共産党と改称)第1書記。’63年訪ソ。対中国関係をめぐり、ソ連との関係が一時悪化したが、その後関係を回復。’75年独立後のアンゴラ内戦派兵。’76年12月より国家評議会議長(元首)、閣僚評議会議長。’93年2月初の総選挙を実施し高い信任票を得る。2002年5月カーター米元大統領とハバナで会談。2003年3月6選。2006年7月腸の手術後、実弟ラウルへ暫定的に権限委譲。2008年2月健康問題を理由に国家評議会議長と軍最高司令官から引退。この間、軍、党、政府の最高指導者としてキューバを半世紀近く統治した。2011年革命宣言(1961年4月16日)してから50年を迎えた共産党大会で正式に党の第1書記を退任し、事実上引退した。1995年12月初来日。2003年3月来日。2011年自伝的著書「フィデル・カストロ みずから語る革命家人生」が翻訳刊行された。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「フィデル カストロ」の解説

フィデル カストロ
Fidel Ruz Castro


1927.8.13 -
キューバの政治家,革命家。
キューバ国家元首。
オリエンテ州ビラン生まれ。
裕福な砂糖農園に生まれ、カトリック系の学校へ進み、1945年にハバナ大学法学部に入学した。在学中から学生運動の指導者として内外の政治闘争に参加し、卒業後は弁護士として政治犯や貧乏人のために働いた。’53年に同志とバティスタ独裁政権を打倒しようとしたが失敗し、その時裁判で、「歴史は私を無罪にするであろう」と弁明、その後’59年1月ついにバティスタ独裁を倒し、革命政府首相となってアメリカの半植民地的支配から解放、ラテン・アメリカで最初の社会主義国家を誕生させた。’60年にはラテン・アメリカ革命を推進し、’70年代にはアンゴラ等のアフリカの民族解放闘争を支援、’76年国家評議会議長(元首)。’79年にはハバナで非同盟諸国首脳会議を開催するなど、第3世界の指導的政治家として活躍している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「フィデル カストロ」の解説

フィデル カストロ

生年月日:1926年8月13日
キューバの革命家;政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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