ピルグリム・ファーザーズ(読み)ピルグリムファーザーズ(英語表記)Pilgrim Fathers

翻訳|Pilgrim Fathers

百科事典マイペディア の解説

ピルグリム・ファーザーズ

1620年,信仰の自由を求め,メーフラワー号で新大陸ニューイングランド移住した英国分離派ピューリタン。〈巡礼父祖〉と記される。W.ブラッドフォード指導のもとプリマス植民地建設。102名の移住者うちにはオランダライデン宗教亡命していたピューリタン以外にも,英本国で集められた労働者が加わっていた。
→関連項目アメリカ合衆国コッド[岬]ニューイングランドピューリタンマサチューセッツ[州]

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ピルグリム・ファーザーズ
ぴるぐりむふぁーざーず
Pilgrim Fathers

1620年メイフラワー号北アメリカに渡ったピューリタンその他の人たち。巡礼始祖と訳される。ピューリタンのうち分離派とよばれる人々は、宗教的迫害から1608年オランダに逃れたが、ブラッドフォードらはさらにアメリカ大陸への移住を決意し、イギリスサウサンプトンに寄ってイギリスからの参加者を加え、総勢102人(うちピューリタンは35人)で、20年11月北アメリカ沿岸に到着。船上メイフラワー契約を結んだのち、同年12月21日マサチューセッツ州の沿岸(のちのプリマス)に上陸、最初の冬の間に半数以上が死亡したが、屈することなく、プリマス植民地の基礎を築いた。

松村 赳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ピルグリム・ファーザーズ
Pilgrim Fathers

1620年信仰の自由を求めて現アメリカのマサチューセッツ州プリマスに入植した人々。それより 12年前に宗教的自由を求めてオランダのライデンに移住したイギリス分離派教会の 35名を含め,102人の清教徒がバージニア会社の植民地に入植する約束でイギリスのサザンプトン港から『メイフラワー』号でアメリカへ出発,20年 11月約束とは違うプリマスの地に到着。上陸に先立って「メイフラワー契約」を結んで自治政治団体を結成し,上陸後の苦難に耐えて植民地建設に励んだ。 21年6月には正式特許状を受けてプリマス植民地が誕生したが,91年にマサチューセッツ湾植民地に併合された。 1819年になって彼らの不屈な精神をたたえてピルグリム会が発足,20年 D.ウェブスターが彼らを「ピルグリム・ファーザーズ」と呼び,全国的にこの名が普及するようになった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ピルグリム・ファーザーズ
Pilgrim Fathers

自分たちの信仰を守りつつ生活できる土地を求め,1620年にメイフラワー号に乗って北アメリカに渡り,プリマス植民地を建設した分離派(イングランド国教会を批判し国教会から離れた人々)の植民者たち。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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