ピョートル3世(読み)ピョートルさんせい(英語表記)Pëtr III

改訂新版 世界大百科事典 「ピョートル3世」の意味・わかりやすい解説

ピョートル[3世]
Pyotr Ⅲ Fyodorovich
生没年:1728-62

ロシア皇帝在位1761-62年。ホルシュタイン・ゴットルプ公に嫁したピョートル1世の娘アンナの子。1742年,叔母エリザベータ・ペトロブナから後継者に指名されたが,知能が低かった。プロイセン王フリードリヒ2世の崇拝者で,七年戦争(1756-63)へのロシアの参戦後,ピョートルの〈小宮廷〉はプロイセン派の策動の中心となり,叔母との関係も緊張した。即位後,開戦中のフリードリヒと和し,プロイセン式の規律軍隊官庁で強制した。また生家ホルシュタインのためデンマークに対する戦争を企てたので不満が高まり,近衛士官を中心に妃エカチェリナ2世を擁立する宮廷革命が起こり,在位6ヵ月で帝位を失い,その直後に殺された。内政には無関心で,重臣たちによる貴族の勤務の自由や修道院領国有化政策を認め,これが民衆の間に,皇帝は農奴の解放も企てたが果たせなかったとのうわさを生み,プガチョフの乱で彼が僭称される背景になった。ロマノフ朝は彼以後,ロマノフ・ホルシュタイン・ゴットルプ朝とよばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピョートル3世」の意味・わかりやすい解説

ピョートル3世
ピョートルさんせい
Pëtr III

[生]1728.2.21. キール
[没]1762.7.18. ペテルブルグ近郊ロプシャ
ロシア皇帝(在位 1762.1.5.~7.9.)。ホルシュタイン=ゴットルプ侯カルル・フリードリヒとピョートル1世の娘アンナ・ペトローブナとの間に生まれた。1745年のちのエカテリーナ2世となるシュチェチンの侯女ソフィヤ・アウグスタ・フレデリカと結婚。プロシアのフリードリヒ2世(大王)を深く尊敬し,1762年即位するや突如七年戦争から脱してプロシアと和し,窮地にあるプロシアを救った。ロシアが戦争で占領したプロシアの領土を返還したり,プロシアの軍制を取り入れようとしたこと,さらにデンマークと戦争しようとしたことなどから,妻エカテリーナに率いられた近衛軍のクーデターによって退位させられ,まもなく殺害された。

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367日誕生日大事典 「ピョートル3世」の解説

ピョートル3世

生年月日:1728年2月21日
ロシアの皇帝(在位1762.1.〜7.)
1762年没

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世界大百科事典(旧版)内のピョートル3世の言及

【ロマノフ朝】より

…ロマノフ家は古くからの名門貴族で,16世紀以来ロマノフを名のり,リューリク朝のツァーリ,イワン4世の妃アナスタシアはその出身で,彼女の甥の子がミハイルである。 18人の皇帝のなかで,大帝といわれるのはピョートル1世エカチェリナ2世の2人だけであるが,300年のロマノフ朝の歴史は,この2人の治世とその前後の3時期に分けられるであろう。ピョートル1世までは王朝の創設期であり,基礎がつくられた時期である。…

※「ピョートル3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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