ピエロ・デラ・フランチェスカ(読み)ピエロデラフランチェスカ(英語表記)Piero della Francesca

百科事典マイペディア の解説

ピエロ・デラ・フランチェスカ

イタリアの画家。トスカナ地方南部に生まれ,フィレンツェドメニコ・ベネツィアーノに師事し,初期ルネサンス絵画の大家となった。特に,線遠近法のみならず空気遠近法をも追求した点で,時代の先駆的存在。画風は動感に乏しいが,荘重でモニュメンタルな効果を示している。代表作に《ミゼリコルディア祭壇画》(1445年―1462年ころ,ボルゴ・サンセポルクロ,市立美術館蔵),《キリスト洗礼》(1450年―1455年,ロンドン,ナショナル・ギャラリー蔵),アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の壁画連作《聖十字架物語》(1452年―1466年)などがある。遠近法に関する著作も残した。
→関連項目ウンブリア派クートーシニョレリバルチュスペルジーノメロッツォ・ダ・フォルリ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ピエロ・デラ・フランチェスカ
Piero della Francesca

[生]1416./1417頃. ボルゴ・サンセポルクロ
[没]1492.10.12. ボルゴ・サンセポルクロ
イタリアの画家。本名 Piero di Benedetto dei Franceschi。地方画家としてシエナ派の画風を示していたが,フィレンツェに滞在中独自の画風を開き,1442年までに生地ボルゴに戻り,主として宗教画を描いた。1449~50年頃にはフェララ,その後アレッツォなどの聖堂の祭壇画やウルビノ公の肖像画を制作。1459~60年はローマ,1460年代および 1470年代にはしばしばウルビノを訪れたが,晩年は視力を失ったといわれる。作品は『キリストの洗礼』(1448~50頃,ロンドン,ナショナル・ギャラリー),『セニガリア聖母』(ウルビノ,国立マルケ美術館)など。著書に『透視図法』De prospectiva pingendiがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ピエロ・デラ・フランチェスカ
ぴえろでらふらんちぇすか

ピエロ・デッラ・フランチェスカ

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