ピエロ・デッラ・フランチェスカ(読み)ぴえろでっらふらんちぇすか(英語表記)Piero della Francesca

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ピエロ・デッラ・フランチェスカ
ぴえろでっらふらんちぇすか
Piero della Francesca
(1416/1420―1492)

イタリア初期ルネサンスの画家トスカナ地方アレッツォに近い町ボルゴ・サンセポルクロに生まれ、終生この町の市民として過ごす。画家としての活動を伝える最初の記録(1439)は、フィレンツェのサンテジディオ聖堂の内陣装飾を請け負っていたドメニコ・ベネチアーノといっしょにいた、というものである。1445年には郷里のミゼリコルディア同信会から多翼祭壇画の制作依頼を受け、その中央パネル『慈悲聖母』には彼の様式の確立を告げる幾何学的に処理された円柱的形姿が現れている。『キリストの洗礼』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)、『聖ヒエロニムスと信者』(ベルリン絵画館)、『聖シジスモンドとシジスモンド・ポンドルフォ・マラテスタ』などの作品も、1450年代初頭までに描かれたと考えてよい。1452年から十数年かけて、アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂内陣を「黄金伝説」に取材した『聖十字架物語』で装飾する。三段に分割した三方の壁面に描かれた10画面のこのフレスコ画連作は、クァットロチェント(15世紀)絵画の白眉(はくび)とみなされる傑作である。

 1460年代末にはウルビーノモンテフェルトロ家宮廷とかかわりをもつようになり、このころの彼の様式にはフランドル絵画特有の光の扱いと構図が看取されるようになる。ウフィツィ美術館にある『ウルビーノ公夫妻の肖像』の北方的風景描写はその一例である。精緻(せいち)な遠近法や一貫した幾何学の応用に基づく画面は、絵画と数学との緊密な結び付きを示し、そこには画家の深い宗教的思索から生まれた象徴主義が潜んでいる。また彼には三編の理論的著作『絵画の遠近法について』『算術論』『正多面体論』があり、これらは彼の絵画を理解するうえでも、ルネサンス期の芸術思潮を研究するうえでもきわめて貴重である。死の直前は失明状態であった。

[小針由紀隆]

『生田圓・佐々木英也解説『世界美術全集3 ピエロ・デルラ・フランチェスカ他』(1979・集英社)』『M・A・ラヴィン著、長谷川三郎訳『アート・イン・コンテクスト2 ピエロ・デラ・フランチェスカ/笞打ち』(1979・みすず書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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