ピウス(9世)(読み)ぴうす(英語表記)Pius Ⅸ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピウス(9世)」の意味・わかりやすい解説

ピウス(9世)
ぴうす
Pius Ⅸ
(1792―1878)

ローマ教皇(在位1846~1878)。イタリア人。前名ジョバンニ・マリア・マスタイ・フェッレッティGiovanni Maria Mastai-Ferretti。元スポレート大司教、イモラ司教、枢機卿(すうききょう)。1846年教皇に選挙されると、政治犯に恩赦を与え、イタリアの国民的統一運動を支持する態度を示したので、大きな人気を得た。「一八四八年の革命」が教皇領にも勃発(ぼっぱつ)すると憲法を認めたが、オーストリアに戦いを宣することを拒んだので、民衆の人気を失った。教皇の別荘クイリナーレ宮が革命的暴徒たちに襲われると、ガエタ(イタリア中南部、ラティーナ県の港町)に逃れた。フランス軍のローマ占領によって教皇領が回復されたあと、ローマに帰還した(1850)が、彼は自由主義的な政策を放棄した。その後、教皇の世俗権はしだいに減少していった。フランスのナポレオン3世が没落した1870年に、イタリア王の軍隊によってローマが占領されたが、ピウス9世は、新しいイタリア王国の承認や保障法を拒絶した。「聖母無原罪懐胎(無原罪の御やどり)」の教義布告(1854)し、「誤謬(ごびゅう)表」を示して自由主義、社会主義自然主義を非難し、教皇の不謬性を宣言した。

[佐藤三夫 2017年12月12日]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピウス(9世)」の解説

ピウス(9世)
Pius Ⅸ

1792〜1878
ローマ教皇(在位1846〜78)
初めイタリアの統一運動を支持して自由主義的教皇と呼ばれたが,のち反動化し,1848年のローマ市民の抵抗で一時フランスに逃れた。フランスのローマ占領後帰国したが,1870年イタリア王国に教皇領を併合され,国王対立同年ヴァチカン公会議では教皇無誤謬論を発表し,また1875年からはビスマルク文化闘争を行った。

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