ビルマ史(読み)ビルマし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビルマ史」の意味・わかりやすい解説

ビルマ史
ビルマし

古くは今日のミャンマーとタイにまたがって居住するモン族と,中国史料に「驃」の名で登場するピュー人(→ピュー〈驃〉)が先住民族としてビルマに住み,それぞれ小規模な国家を形成した。9世紀以降,雲南の南詔から自立したビルマ人エイヤーワディ川に沿って南下,ミャンマー中部のチャウセー地方に定住して灌漑稲作を開始し,11世紀にパガン(蒲甘)朝を興した。モン族から上座部仏教の取り込みが行なわれたのも同王朝下においてである。パガン朝は 13世紀にモンゴル軍(→モンゴル帝国)の攻撃で滅亡し,それ以後 16世紀までピンヤ朝,ザガイン朝,アバ朝インワ朝)の鼎立時代が続いた。1531年にタウングー朝が成立,後期タウングー朝(ニャウンヤウン朝)期を含み,18世紀半ばまで 2度目の統一王朝がエイヤーワディ川流域地帯を統治した。この間,東北部のシャン地方には数十の藩王国が成立し,平野部のビルマ王朝との友好関係を構築した。1752年に後期タウングー朝が滅亡すると,3度目の統一王朝となるコンバウン朝シュエボウに興り,遷都を続けながら 19世紀初めにはビルマ史上最大版図を支配するにいたった。しかし 1824年以降,イギリスとの 3度にわたるビルマ戦争により 1885年にコンバウン朝は滅亡,翌 1886年,全土がイギリス領インド帝国に組み入れられた。20世紀に入ってナショナリズムが勃興し,イギリスは 2度の統治体制変更を経て 1937年にビルマをインドから切り離して直轄植民地とし,一定程度の自治権を付与した。第2次世界大戦では日本軍に占領され,戦後はイギリスとの交渉を経て 1948年に独立。ウー・ヌが首相となる議会制民主主義期を経て,1962年には国軍全権を握りビルマ型社会主義による統治を実施。1988年に大規模な民主化運動が発生すると,それを抑え込んで軍事政権を発足させた。軍事政権はアウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟 NLDを抑圧し続け,2011年3月の民政移管後は政治と経済の両面で大きな改革を行ないつつも,軍の権限を強く認めた憲法に基づく統治が行なわれている。

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