ビラ・ロボス(読み)ビラロボス

百科事典マイペディア 「ビラ・ロボス」の意味・わかりやすい解説

ビラ・ロボス

ブラジル作曲家。リオ・デ・ジャネイロに生まれ,アマチュア音楽家でもあった歴史学者の父に6歳から音楽の手ほどきを受ける。10代半ばで作曲に手を染め,終生敬愛の対象となったJ.S.バッハをはじめ,多くの作曲家の作品独学で研究。劇場オーケストラのチェロ奏者を経て1905年からブラジル国内を広く旅し,各地の民俗音楽を知る。交響詩《ミレミス》(1917年。のちバレエ音楽《アマゾナス》に改訂)などで民族的語法に立脚した独自の作風確立。1910年代後半にはブラジル滞在中のミヨールビンステインと出会い,1923年渡欧。パリを拠点にヨーロッパの音楽家と親交を深め,作曲家として名声を高めた。1930年に帰国後はブラジル音楽界の指導者として活躍し,1942年には国立音楽院を設立。指揮者としても活躍した。作品は,12の交響曲(1916年−1957年),17の弦楽四重奏曲(1915年−1957年),各種の協奏曲,《12の練習曲》(1929年)などのギター曲,《赤ちゃん一族》(1918年−1926年)などのピアノ曲,さまざまな編成を用いた《ショーロス》(1920年−1929年)と《ブラジル風のバッハ》(1930年−1945年)のシリーズ,七つのオペラなど膨大な数に上り,その全体像日本ではまだ知られていない。→セゴビアハーモニカヒナステラ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビラ・ロボス」の意味・わかりやすい解説

ビラ・ロボス
びらろぼす
Heitor Villa-Lobos
(1887―1959)

ブラジルの作曲家。リオ・デ・ジャネイロ生まれ。アマチュア音楽家であった父に音楽の手ほどきを受け、1899年の父の死後、映画館やカフェでチェロを弾く生活を送る。ほとんど独学で作曲法を身につける一方、18歳のときからブラジル全域に旅して民謡を収集、研究し、個性的な作品を書き始めた。奨学金を得て1923~30年パリに留学、同地で大成功を博し国際的名声が広まる。帰国後音楽教育の責任者に任じられ、45年にはブラジル音楽アカデミーを創立。14曲の『ショーロ』(1920~28)や九曲の『ブラジル風のバッハ』(1930~45)のような特殊な楽器編成のために書かれたものや、ギター曲をはじめあらゆるジャンルに多数の作品があり、野性的リズムや民謡風の旋律など民族的要素と、西欧の伝統的形式を融合させた独創的な作風をみせている。

[益山典子]

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