精選版 日本国語大辞典 「ビヨン」の意味・読み・例文・類語
ビヨン
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フランス中世文学を代表する詩集《ビヨン遺言》の作者に擬せられる謎の人物。生没年不詳。19世紀末に提唱され,現在なお一般に認容されている説によれば,作者はフランソア・ド・モンコルビエという男で,1431年ころパリで生まれる。幼くして父を失い,暮しに困って預けられた養父にその名をもらって,フランソア・ド・ビヨンと名のり,悪友からはあだ名をもらって,フランソア・デ・ロージュ(ずらかり屋のフランソア)と呼ばれた。彼は,パリ大学の暴れる学生の一人で,学士となったが,55年にけんかがもとで司祭を殺傷し,《ビヨンの形見》を書いたうえ,パリを逃げ出す。いったんは赦免にあずかり,パリに戻ったのもつかのま,翌年のクリスマス・イブにはナバール学寮に押し入って金貨500枚を盗む,という事件に連座して,また逐電,放浪の旅に出る。この間ブロアに隠棲する王侯詩人シャルル・ドルレアンのもとに姿を現し,マン・シュル・ロアールでは,なんの咎(とが)かわからないが,とにかく投獄の憂き目をみて,おのが所業を省みて《ビヨン遺言》をつづる。6年ぶりにパリに戻ったところ,逮捕,拘留され,払えるはずもない損害賠償支払いの誓約書に署名をして出獄するが,翌年ローマ教皇庁パリ代表部の秘書官傷害事件の巻添えを食い,素行不良のゆえをもって,向こう10年間,パリ地区追放の裁きを下される。それ以後の足どり不明である,没年は1465年ころであろう。
以上のような〈19世紀のビヨン像〉ができる前には,ルネサンス期にいくつかの証言があるのみであった。古典学者ビュデのように,ビヨンとは人をだます者の代表例とするもの,《ビヨン詩集》を編んだ詩人マロのように,パリの詩人という以外に何もわからないとするもの,物語作家ラブレーのように,ビヨンを旅まわりの役者,演出家とするものなど,いずれも詩人の個的な姿を特定するにはいたっていない。その像を上述のように結ぶにいたったのは,史料としての価値をもつ古記録類の調査,探索にもとづき,それを作品の内容と照合して解釈を加えることによってできたものであるが,人物同定に難があり(名前のばらつき),作品中の記述を史実と直結させすぎるきらいがあり(《形見》の成立事情),年代決定が強引である(自らの遺言としてつづられたはずの《遺言》が実は制作年代の異なる作品のアンソロジー),等々の疑点が残り,結局,この詩人名が冠される作品を読む際には,既成の詩人像にあまりよりかかって鑑賞しないほうが,作品に対する好ましい接し方なのだが,その実行は難かしく,今後の課題となっている。
現段階で,同じ作者の手に成るものとみなしうる作品は四つのグループをなす。それは《ビヨンの形見》および《ビヨン遺言》,いわゆる《雑詩編》,それに《隠語によるバラード》である。最後のものには邦訳がまだない。《形見》は《小遺言詩集》などとも呼ばれているが,たぶん初期の作品で,愛する女に手痛い仕打ちをうけ,傷心のあまりパリを去るにあたり,友人と敵に,実に変な役にも立たぬいろいろなものを記念に残すといった趣向である。《遺言》は自分の半生を振り返って,その誤ち,報われぬ恋,さまざまな苦悩,病,老い,牢獄,貧乏,死,そういったものへの恐怖を表しながら,死にゆく者として,遺言状を書く,つまり,老母,養父,仲間,女ども,旧敵等々に,遺贈を取り行うわけであるが,その架空の遺贈の品々が,遺贈者(主人公)と被遺贈者(登場人物)とのドラマを,あるときにはパセティックに,あるときにはアイロニカルに,またあるときにはコミカルに,多くの場合はそれらが混然一体となって,説き明かすしくみになっている。《雑詩編》は〈首つり人のバラード〉などの絶品の抒情詩,〈心と軀の論争〉のような伝統的テーマを扱ったもの,〈マリー・ドルレアン頌詩〉のようなパトロン相手の作品など,後世の人々が拾い集めた作品である。残る《隠語によるバラード》は,秘密の言語で書かれていて,これには〈貝殻党Coquillards〉という隠語を使う悪者集団が大いに関与しているらしいが,それだけでもないらしい。この作品の総合的読解を試みたP.ギロー(1968発表)の説くところによれば,作品は三重の意味層からなっており,(1)お上と悶着を起こすなりわいのこと,(2)仲間のあいだの賭博(ばくち)のこと,(3)男性間の愛のこと,これらが同時に読み取れるようにできているという。しかし,余人にはこの説の当否を論じられないほど,この詩はまったく歯の立たない謎の作品である。
執筆者:細川 哲士
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…20世紀ドイツのボヘミアン(放浪)文士のなかで,赤裸々な人間性を鋭く暴くとともに,純粋な抒情性を表現した希有の詩才の一人。フランスの詩人F.ビヨンの志向の現代における体現者。彼自身ビヨンを愛し,その後裔を自認した。…
…古いものでは8世紀ごろ成立したイギリスの《ベーオウルフ》があり,北欧の〈エッダ〉と〈サガ〉,ドイツの《ニーベルンゲンの歌》などのゲルマン色の濃いものや,おそらくケルト系のアーサー王伝説群,それに,キリスト教徒の武勲詩の性格をもつフランスの《ローランの歌》,スペインの《わがシッドの歌》などが,いずれも12,13世紀ごろまでに成立する。抒情詩としては12世紀ごろから南仏で活動したトルバドゥールと呼ばれる詩人たちの恋愛歌や物語歌がジョングルールという芸人たちによって歌われ,北仏のトルベール,ドイツのミンネゼンガーなどに伝わって,貴族階級による優雅な宮廷抒情詩の流れを生むが,他方には舞踏歌,牧歌,お針歌などの形で奔放な生活感情を歌った民衆歌謡の流れがあり,これがリュトブフ(13世紀)の嘆き節を経て,中世最後の詩人といわれるフランソア・ビヨン(15世紀)につらなる。ほぼ同じ時期に最後の宮廷詩人シャルル・ドルレアンもいて,ともにバラードやロンドーといった定型詩の代表作を残した。…
※「ビヨン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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