ビドー(読み)びどー(英語表記)Georges Bidault

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビドー」の意味・わかりやすい解説

ビドー
Bidault, Georges

[生]1899.10.5. ムーラン
[没]1983.1.26. カンボレンバン
フランス政治家。 1925年パリ大学卒業。 32年カトリック左派の新聞ローブ』を創刊。第2次世界大戦中,レジスタンス運動を行い,43年レジスタンス全国評議会 CNR議長。 44年人民共和派 MRP創設尽力。 44~46年 C.ドゴール臨時政府の外相,46年首相。 49年には MRP党首となったが,アルジェリア問題などで保守的な意見を主張し,58年 MRPを離党。同年6月キリスト教民主党 DCFを結成し党首となった。 61年アルジェリア政策ドゴール対立,地下活動を指導したため,62年議員の特権を剥奪され,63~67年ブラジル,67年ベルギーへ亡命。 68年6月特赦で帰国

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビドー」の意味・わかりやすい解説

ビドー
びどー
Georges Bidault
(1899―1983)

フランスの政治家。リセの歴史学教授のかたわら第二次世界大戦までは左翼カトリック系ジャーナリズムで活躍した。大戦中は対独レジスタンスに参加し、ドイツ軍に捕らわれたジャン・ムーラン初代議長の後を継いで1943年全国抵抗評議会(CNR)第2代議長となる。解放後はドゴール臨時政府の外相(1944~1946)を務める一方、1944年にカトリック政党の人民共和派を創設した。1946年と1949~1950年の二度首相となったほか、1944年から1954年の間に数度外相を務め、親米外交と欧州統合を推進した。アルジェリア独立に敵対して1958年のドゴール再登場に協力したが、独立容認に傾くドゴールに欺かれたと信じて地下テロ組織(OAS)に参加し、1962年から1968年まで海外に亡命した。

[平瀬徹也]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ビドー」の解説

ビドー
Georges Bidault

1899~1983

フランスの政治家。ルイ・ル・グラン中学校などで歴史の教授を務めるかたわら,カトリック左派の新聞『ローブ』の外報部長として独伊に対する宥和(ゆうわ)政策に反対した。1936年下院議員となり,第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加して,43年全国抵抗評議会議長となり,解放後は人民共和運動の指導者として首相(在任1946,49~50,58),外相,国防相などを歴任した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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