ビットリオ・エマヌエレ(3世)(読み)びっとりおえまぬえれ(英語表記)Vittorio Emanuele Ⅲ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ビットリオ・エマヌエレ(3世)
びっとりおえまぬえれ
Vittorio Emanuele Ⅲ
(1869―1947)

イタリア国王(在位1900~46)。父王ウンベルト1世が無政府主義者ブレーシに暗殺されたのち、王位についた。内政ジョリッティに任せ、もっぱら外交に関心を示し、三国同盟を堅持する一方で、フランス、イギリスにも接近した。また、リビア征服のためにイタリア・トルコ戦争を支持し、第一次世界大戦では参戦を主張した。また、ムッソリーニローマ進軍(1922)に際して、戒厳令の署名を拒み、ファシズム勢力を吸収できると考えて、結局ムッソリーニに組閣を命じた。ファシズム体制下では、エチオピア皇帝(在位1936~42)、アルバニア王(在位1939~43)も兼ねた。1943年7月、ムッソリーニを逮捕し、バドリオ将軍を首相に据え、同年9月8日の休戦条約ローマ放棄し、南イタリアのブリンディジに避難した。46年に息子のウンベルト2世に王位を譲り、翌年エジプトのアレクサンドリア死去

[藤澤房俊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀西洋人名事典 の解説

ビットリオ・エマヌエレ(3世)
Vittorio Emanuele Ⅲ


1869.11.11 - 1947.12.28
イタリア国籍。
元・イタリア国王,元・エチオピア皇帝,元・アルバニア国王。
ナポリ生まれ。
1900年父暗殺により王位についた。イタリア・トルコ戦争をリビア征服のために支持。’22年ムッソリーニのローマ進軍の際、ムッソリーニに組閣を命じた。ファシズム体制下で’36年エチオピア皇帝、’39年アルバニア国王を兼任。’43年バドリオ将軍を首相に任命。同年休戦条約でローマを放棄。’46年息子のウンベルト2世に譲位

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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