精選版 日本国語大辞典 「ビアード」の意味・読み・例文・類語
ビアード
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アメリカの歴史学者。いわゆる革新主義学派の領袖として1930年代のアメリカの史学界,教育界に多大の影響を与えた。オックスフォード大学留学後コロンビア大学大学院に学び博士号を得,同大学で教職についたが,のち1917年学問の自由の問題と関連して辞職する。1913年《合衆国憲法の経済的解釈》を刊行,憲法制定者たちの経済的利害関係を分析し,毀誉褒貶(きよほうへん)の的となった。その続編にあたるいくつかの著書を発表した後,27年《アメリカ文明の興隆》を刊行,同書はアメリカ史の流れを保守と革新との対立としてとらえ,教科書として広く使用され,アメリカ史を学ぶ者の必読書となった。ビアードには,社会科学研究,政治学,都市行政についての著書も多いが,1922年後藤新平東京市長に招かれて来日,《東京市政論》(1923)を記し,関東大震災後に再度来日,日本にも知己が多い。アメリカ外交についても多くの著書を刊行しているが,現実主義的観点からアメリカの海外への過剰介入を戒めている。ことにフランクリン・ローズベルト大統領の参戦外交を批判した《ローズベルトと1941年の開戦》(1948)は,孤立主義的言辞として強い批判を受けた。ビアードは,50冊余りの著書を刊行,広い読者を有していたが,その信念の率直な表明のゆえに批判者も多く,孤独な晩年を送った。なお,夫人Mary Ritter Beard(1876-1958)も歴史学者であり,ビアードとの共著が多い。
執筆者:斎藤 真
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…内相で帝都復興院総裁を兼任した後藤新平の帝都復興都市計画は,激しい反対のなかで縮小され(当初30億円計上された復興費は12億円に削減),後の東京の発展に禍痕を残した。ちなみにこの計画の基本方針としては,遷都はしないこと,ニューヨーク市政調査会理事ビアードCharles Austin Beard(1874‐1948)に委嘱して欧米式の最新の都市計画を採用すること,地主に対して断固たる態度をとることがあった。大震災を契機に近郊の隣接町村への人口移動が始まり,東武,西武,東急,小田急各線の開業や電化が進んで,東京の市街地は西ないし南西部へと急激に膨張し始めた。…
…1919年,政府は都市計画法と市街地建築物法を制定し,無秩序な都市形成の規制を図るが,都市自治体には計画権限は付与されなかった。22年,当時東京市長であった後藤新平は東京市政調査会を設立,アメリカからビアードCharles Austin Beardを招聘し東京市政の調査をゆだねた。彼の《東京市政論The Administration and Politics of Tokyo》(1923)は,都市行政論の名著とされる。…
…移民の国として成立したアメリカの場合,社会的利害の調整のために同一利害の上に立つ人々の集団的発言が不可欠であり,またそれが社会的に容認されていたからである。アメリカの政治学者C.A.ビアードが,アメリカ連邦憲法の制定過程を検討して,この憲法がさまざまな経済利益間の競合・妥協の産物であると論じたのも,ゆえなしとしない。その後のアメリカにおける圧力団体の発展はますます目覚ましく,19世紀の30年代にアメリカを視察したトックビルが,〈世界中でアメリカにおけるほど,結社の原理が,多数の異なった目的に対して,成功的に用いられ,あるいは惜しみなく適用されてきた国はない〉(《アメリカの民主主義》1835‐40)と賛嘆したことは有名である。…
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[革命の解釈]
アメリカ革命に対しては,大きく二つの解釈が分かれている。一つは,アメリカ革命をフランス革命と同様に,すぐれて革命的な革命であったとする解釈で,C.ビアードなどによる革新主義学派の解釈である。それに対し,アメリカ革命は革命というよりイギリスからの政治的独立であり,アメリカ内に関するかぎり革命的なことではなかったとする解釈であり,19世紀末以来の帝国学派,1950年代の新保守主義学派による解釈である。…
…内相で帝都復興院総裁を兼任した後藤新平の帝都復興都市計画は,激しい反対のなかで縮小され(当初30億円計上された復興費は12億円に削減),後の東京の発展に禍痕を残した。ちなみにこの計画の基本方針としては,遷都はしないこと,ニューヨーク市政調査会理事ビアードCharles Austin Beard(1874‐1948)に委嘱して欧米式の最新の都市計画を採用すること,地主に対して断固たる態度をとることがあった。大震災を契機に近郊の隣接町村への人口移動が始まり,東武,西武,東急,小田急各線の開業や電化が進んで,東京の市街地は西ないし南西部へと急激に膨張し始めた。…
…1919年,政府は都市計画法と市街地建築物法を制定し,無秩序な都市形成の規制を図るが,都市自治体には計画権限は付与されなかった。22年,当時東京市長であった後藤新平は東京市政調査会を設立,アメリカからビアードCharles Austin Beardを招聘し東京市政の調査をゆだねた。彼の《東京市政論The Administration and Politics of Tokyo》(1923)は,都市行政論の名著とされる。…
…腐敗の粛正,行政の能率化,科学化を求めて市政改革city reformの運動が高まった。その中心人物C.ビアードが東京市長後藤新平に関東大震災の前後2回招かれ,その成果を日本に伝え,雑誌《都市問題》の創刊(1925)にも寄与した。さらにこの前後の日本では,大正デモクラシーの名に伴う形で後藤を助けた池田宏や大阪の名市長関一をはじめ多くの人材が出て,上記のような問題の把握からする都市計画の推進や,新しく広がる失業・貧困に対する社会政策事業の拡大を唱えた。…
※「ビアード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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