ヒュッシュ

百科事典マイペディア 「ヒュッシュ」の意味・わかりやすい解説

ヒュッシュ

ドイツのバリトン歌手生地ハノーファーで学び,ドイツ各地の歌劇場で活躍ロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場やバイロイト音楽祭にも出演し,B.ワルタートスカニーニらとの共演名声を高めた。一方シューベルトシューマンなどのドイツ・リートでも地歩を固め,ことに《冬の旅》は名唱として名高い。後年ヨーロッパ各地でリート解釈を講じ,1961年−1963年東京芸術大学講師を務めるなど,日本でも音楽教育に携わった。1952年初来日。
→関連項目中山悌一

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改訂新版 世界大百科事典 「ヒュッシュ」の意味・わかりやすい解説

ヒュッシュ
Gerhard Hüsch
生没年:1901-84

ドイツのバリトン歌手。生地のハノーファーで音楽教育を受けた後,1923年オスナブリュックでデビューケルン市立歌劇場,ベルリン国立歌劇場などで活躍。その間,30年および31年,バイロイト音楽祭で《タンホイザー》のウォルフラム役を歌う。38年ミュンヘン国立高等音楽学校教授となり,61-62年,67-68年にそれぞれ東京芸術大学および愛知県立芸術大学に招かれて教えた。柔らかく甘い声質をもち,とくにシューベルトやシューマンのリートにおいては規範的演奏を示す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒュッシュ」の意味・わかりやすい解説

ヒュッシュ
ひゅっしゅ
Gerhard Hüsch
(1901―1984)

ドイツのバリトン歌手。生地ハノーバーで学び、1923年にデビュー。ブレーメン、ケルンの各歌劇場を経て、30~42年ベルリン国立歌劇場の中心的バリトン歌手として活躍。30年にはトスカニーニの指揮でバイロイト音楽祭に出演、またロンドン、ミラノ、ウィーンなどヨーロッパの主要歌劇場でも歌った。32年にドイツ歌曲による最初のリサイタルを開催、以後歌曲解釈の研究を続け、この分野でも名声を博した。初来日は52年(昭和27)。教育者としても優れ、ミュンヘンでおもに教えたが、61~63年東京芸大の教授を務めるなど、日本でも幅広く教育活動を行った。

[美山良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒュッシュ」の意味・わかりやすい解説

ヒュッシュ
Hüsch, Gerhard

[生]1901.2.2. ハノーバー
[没]1984.11.21. レーゲンスブルク
ドイツのバリトン歌手。ハノーバー音楽院で学んだのち,1925年ブレーメン国立歌劇場で『カルメン』のモラーレス役でデビュー。 27年ケルン国立歌劇場の歌手となる。オペラのみならずシューベルトをはじめドイツの歌曲の歌手としても高く評価されている。 31年 A.トスカニーニに招かれて,バイロイトで『タンホイザー』のウォルフラムを歌う。 38年ミュンヘン音楽大学教授,61~63年東京芸術大学講師。 68~72年愛知県立芸術大学客員教授として日本の後進を育てた。

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