ヒトラー一揆(読み)ひとらーいっき(英語表記)Hitler-Putsch ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒトラー一揆」の意味・わかりやすい解説

ヒトラー一揆
ひとらーいっき
Hitler-Putsch ドイツ語

1923年11月8~9日、バイエルン州の首府ミュンヘンでヒトラーら極右派が起こした一揆ミュンヘン一揆ともいう。同年秋には、フランス軍のルール占領とドイツのインフレで全ドイツが崩壊の危機にたったが、バイエルンではG・V・カールの右翼政権が、ドイツ国防軍司令長官H・V・ゼークトと結んで、ドイツに独裁政権をたてようとして、ヒトラーらの極右派を陰謀実行の行動部隊として利用していた。最後の瞬間になって、カールらが実行計画を延期したので、ヒトラーらが11月8日の夜ミュンヘンで行動を起こし、カールらを監禁して協力を強要した。カールらは、いちおう協力を約束したが、バイエルンの軍部官僚の首脳部が一揆に賛成しなかったので、約束を破って、ヒトラー討伐に向かった。ヒトラーらは、11月9日、市の中心部にあるオデオン広場に向けてデモを行い、2000~3000人がこれに従ったが、同広場の入口で武装警察隊に銃撃されて、デモは壊滅した。ヒトラーは、この事件で5年の刑を宣告されたが、1年余りで釈放された。

村瀬興雄

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヒトラー一揆」の解説

ヒトラー一揆(ヒトラーいっき)
Hitlerputsch

ミュンヒェン一揆ともいう。1923年11月にナチスが政権獲得を企てて起こした反乱バイエルンの首府ミュンヒェンには,フォン・カールを中心とする右翼王党派,官僚,軍部がバイエルンの王政復古と自治権の拡大を企図してベルリンと対立し,カップ一揆ののちにバイエルンに移った極右・反動勢力の活動を許していた。これに対してベルリンに進軍して全ドイツ的反革命政権を樹立しようとするヒトラーは,ルーデンドルフの協力を得てカールらを出し抜くため11月8日夜国民革命を宣言し,翌9日武装デモを行ったが,国防軍の協力を得られず鎮圧され,ヒトラーは投獄された。ナチスはこの後,議会への進出を通じて政権獲得に努力することになった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヒトラー一揆」の解説

ヒトラー一揆
ヒトラーいっき

ミュンヘン一揆

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