ヒジュラ(英語表記)hijra

デジタル大辞泉 「ヒジュラ」の意味・読み・例文・類語

ヒジュラ(〈アラビア〉Hijra)

移住の意》預言者ムハンマドマホメット)がメッカ住民の迫害から逃れて、西暦622年9月22日、メジナに移住したこと。ヘジラ。→イスラム暦

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ヒジュラ」の意味・読み・例文・類語

ヒジュラ

(hijra) 西暦六二二年九月二二日にマホメットがメッカからメジナに移住したこと。また、この年をイスラム暦の元年とするため、イスラム紀元の意。聖遷。ヘジラ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ヒジュラ」の意味・わかりやすい解説

ヒジュラ
hijra

〈移住〉を意味するアラビア語。単に居住場所を変わることではなく,従来の人間関係を断ち切って新たな人間関係の中に移ることをいう。日本では,ヘジラ,聖遷などとも呼ばれる。一般には,622年の預言者ムハンマドのメッカからメディナへの移住と,その前後の教友(サハーバ)たちの移住を指す。このヒジュラをコーランではメディナ社会に移ったとはいわず,神の道に移住したと表現する。メッカでのイスラムの発展は絶望とみたムハンマドと教友が,メッカの非信徒である親子,兄弟,親族,知人,友人などとのすべての縁を断ち切り,彼らと戦う決意をしたのがヒジュラであった。ムハンマドのヒジュラの後でも,神の道に移住して来ることはヒジュラと呼ばれ,ヒジュラを行った人々はムハージルーンと呼ばれたが,彼らは必ずしもメディナに移住する必要はなかった。また大征服の時代に征服地のミスルに来て戦いに参加することもヒジュラと呼ばれた。

 ヒジュラがイスラム国家の発展の起点であったとの認識のうえに,後にカリフ,ウマル1世は,ヒジュラの行われた年の年初(622年7月16日)を紀元とするヒジュラ暦を採用した。後にアズラク派や創成期のムラービト朝で,外部から陣営に加わることをヒジュラと呼び,植民地時代の北アフリカインドにおいて,異民族の支配から逃れてダール・アルイスラームに移住することもヒジュラと呼ばれた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒジュラ」の意味・わかりやすい解説

ヒジュラ
Hijra

ヘジラともいい,一般にはイスラムの預言者ムハンマドと彼の教友たちの 622年のメジナへの移住をいう。ムハンマドは生れ故郷メッカで伝道活動に従事していたが,保護者アブー・ターリブの死で迫害が一層きびしくなったため,メッカ以外の地に移住することを考えていた。その頃内戦の調停者を求めていたメジナはムハンマドを調停者として迎えることに決め,ムハンマドの教友七十余名の移住が実現した。ヒジュラ後,ムハンマドはメジナ社会をイスラム教徒の社会として統合し,メッカをはじめ近隣のアラブやユダヤ教徒を征服してイスラム教団国家を建設した。イスラムの発展の契機となったのはこのヒジュラであったため,のちにヒジュラの年をイスラム暦の紀元とした。このイスラム暦をヒジュラ暦ともいう。ムハンマドとともに移住した人々はムハージルーンと呼ばれ,一種の名誉ある称号となった。ムハンマドのヒジュラ後にメジナに移住することや,のちの大征服時代に各地の軍事都市 (→ミスル ) に移住することもヒジュラといった。またその後ムハンマドのヒジュラにちなんだ人間集団の移住もしばしばみられる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒジュラ」の意味・わかりやすい解説

ヒジュラ
ひじゅら
Hijra

イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)が信徒とともに622年メッカからメディナに「遷行・移住」したことをさす。イスラム暦(ヒジュラ暦)はこの年を紀元元年とする。預言者がメッカで迫害を受けたことから、ヒジュラはしばしば「逃亡・逃避」と訳されるが、それは誤りである。Hijraの動詞形hajaraは、本来、「だれだれとの交わりを断つ」との主体的意味をもっていた。ヒジュラは単なる受身の逃亡ではなく、メッカに見切りをつけ、新天地を求めてのメディナへの「移住」であった。事実、イスラム教の教えによれば、長い人類史のなかで神からの使信がメディナにおいて初めて共同体(歴史)のなかに正しく根づくことができたのである。ヒジュラの行われた年がのちにヒジュラ暦の起点とされたのは、そのような意義を認めてのことである。

[中村廣治郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ヒジュラ」の意味・わかりやすい解説

ヒジュラ

ヘジラとも。622年7月16日預言者ムハンマドメッカからメディナへ計画的に移住したこと。聖遷・遷都とも。元来はアラビア語で移住の意。この日がヒジュラ暦の紀元。
→関連項目ウンマキブラムハージル

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヒジュラ」の解説

ヒジュラ
hijra

622年,イスラームの開祖ムハンマドと信者が,メッカからメディナ(ヤスリブ)へ遷住したこと
「聖遷」とも訳す。ムハンマドは迫害の激しいメッカでのイスラームの発展は不可能であると考え,非信徒とのすべての縁を断ち,戦う決意をした。これを契機にウンマをつくり,態勢をたてなおしてイスラームの基礎を固めた。なお,のちに第2代正統カリフであるウマル1世の時代に,ヒジュラをイスラーム暦(ヒジュラ暦)の元年と定めた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヒジュラ」の解説

ヒジュラ
hijra

「移住」を意味するアラビア語。「聖遷」ともいわれる。歴史的術語としては,メッカからメディナへのムハンマドの移住をさす。イスラーム暦(ヒジュラ暦)はこの年の正月元日(西暦622年7月16日)から起算する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヒジュラの言及

【ムハージルーン】より

…〈移住者〉を意味するアラビア語。従来の血縁・地縁から離れ神の道にヒジュラ(移住)を行った人々をいう。622年の預言者ムハンマドのヒジュラ前後にメッカからメディナに移住した70余名の成年男子とその家族が最初のムハージルーンである。…

【ムハンマド】より

…彼は移住から死までの11年余りの期間に,メディナを中心とする教団国家を建設した。移住(ヒジュラ)は国家建設の契機となった重大事という認識が,後にこの年を紀元とするヒジュラ暦を成立させた。 メディナにはユダヤ教徒とアラブがいた。…

※「ヒジュラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android