ヒシャーム(英語表記)Hishām ibn `Abd al-Malik

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒシャーム」の意味・わかりやすい解説

ヒシャーム
Hishām ibn `Abd al-Malik

[生]691. ダマスカス
[没]743.2.6. ダマスカス
西アジア,ウマイヤ朝第 10代のカリフ (在位 724~743) 。父は第5代カリフ,アブドゥル・マリク。彼の時代にアラブイスラム軍は,中央アジアでトルコ族の攻撃を撃破し,小アジアに進出し,スペインを占領してフランスまで進出し,北アフリカでベルベル人反乱押え,ウマイヤ朝期を通じて最大の版図を確保した。内政面では,対立抗争を繰返すアラブ戦士を押え,租税収入をより効果的に確保するために官僚制度を整えた。彼のつくった官僚制度が後世イスラム国家の高度に発達した官僚制度の原型となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒシャーム」の意味・わかりやすい解説

ヒシャーム
ひしゃーむ
Hishām b. ‘Abd al-Malik
(691―743)

イスラムのウマイヤ朝第10代のカリフ(在位724~743)。ハーリド・ブン・アルカスリー、ナスル・ブン・サイヤールなど有能な人材を登用して、トルコ人の侵入撃退、反政府運動の抑圧など、内憂外患を克服した。また租税制度の改革、農業の振興を促進し、弛緩(しかん)した同朝の支配体制を再建した。カスル・アル・ハイルなどの宮殿造営、伝承史家ズフリーとの親交などにみられるように、文人君主でもあった。

[花田宇秋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のヒシャームの言及

【ウマイヤ朝】より

…以後,国家の創建以来続いていた政府とアラブ部族民の対立,アラブ諸部族間の反目,シーア派やハワーリジュ派の反政府活動,非アラブ・ムスリムのマワーリーの不満,ウマイヤ家一族内の対立などが相関しあい,帝国の支配体制は弛緩した。ヒシャームHishām b.‘Abd al‐Malik(691‐743。在位724‐743)の国家再建策も効を奏せず,同朝は崩壊への道を進んだ。…

※「ヒシャーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android