パーシキビ(英語表記)Juho Kusti Paasikivi

改訂新版 世界大百科事典 「パーシキビ」の意味・わかりやすい解説

パーシキビ
Juho Kusti Paasikivi
生没年:1870-1956

フィンランドの第7代大統領。在任1946-56年。商家に生まれ,一時孤児となるが,法律を学び,大学講師を経て国会議員となる。国の独立後の1920年,ソビエトとの講和条約締結尽力。39-40年,41-44年の2度にわたるソ・フィン戦争時には,開戦直前の交渉団員,戦間期のモスクワ駐在大使など重要任務を受け持つ。戦後首相を経て大統領となり,対ソ関係の改善に努め,48年には〈友好・協力・相互援助条約〉を結ぶなどして,〈パーシキビ路線〉と呼ばれる対ソ協調策を確立した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーシキビ」の意味・わかりやすい解説

パーシキビ
Paasikivi, Juho Kusti

[生]1870.11.27. タンベレ
[没]1956.12.14. ヘルシンキ
フィンランドの政治家。ウプサラ,ライプチヒ大学で法律と歴史を学び,1902年ヘルシンキ大学講師。実業界を経て,08年政界に入り,フィンランド独立後,20年ソ連との講和会議の首席全権。 39年秋ソ連の領土要求をめぐって平和的解決に努力したが失敗冬戦争 (1939~40) では対ソ早期講和を促進し,第2次世界大戦では対ソ休戦協定の締結 (44) にあたった。 44~46年首相,46~56年大統領として,対ソ関係の安定に専念した。

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世界大百科事典(旧版)内のパーシキビの言及

【フィンランド】より

…在任1940‐43)が,その末期の混乱期はマンネルヘイム元帥(在任1944‐46)が担当した。続いてパーシキビPaasikivi(在任1946‐56)が2期務め,56年からケッコネンが5選され25年間も大統領の座にあった。1982年以降はコイビストMauno Koivisto(1923‐ )が第9代大統領の職にあった。…

※「パーシキビ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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