旺文社世界史事典 三訂版 「パン−スラヴ主義」の解説
パン−スラヴ主義
パン−スラヴしゅぎ
Pan-Slavism
最初,オスマン帝国・オーストリア−ハンガリー帝国内のスラヴ系民族の民族主義運動として現れた。1867年にはモスクワの民族大会でスラヴ大帝国の建設が叫ばれた。ベルリン会議以後,この思想はバルカンの国粋的民族主義をあおり,それがロシアの南下政策と結合してロシアの帝国主義的世界政策の手段として利用され,パン−ゲルマン主義と対立,第一次世界大戦勃発の一因となった。いっぽう,ロシアのパン−スラヴ主義から除外されていたポーランドの場合は,ロシアからの自立と大ポーランド建設という異質な方向性をもっていた。
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