パトリキ(英語表記)patricii

デジタル大辞泉 「パトリキ」の意味・読み・例文・類語

パトリキ(〈ラテン〉patricii)

古代ローマの世襲貴族パトリシアン。→プレブス

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「パトリキ」の意味・読み・例文・類語

パトリキ

〘名〙 (patricii) ローマ共和政初期の血統貴族階級。プレブス(平民)とともに、ローマ市民を構成した。はじめは地主貴族として元老院議員を始め主要官職を独占したが、プレブスとの身分闘争の結果、次第に平等化が進み、紀元前四世紀には両者ノビレスと呼ばれる新しい貴族階級を構成、前三世紀初頭にはほぼ完全な身分的平等が実現。パトリシアン。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「パトリキ」の意味・わかりやすい解説

パトリキ
patricii

古代ローマの市民中の血統貴族。元老院の成員を意味するパテルpaterに結びつく表現で,〈パテルの子孫〉の意。特別な身分的指標を有し,地主貴族として政務官職や主要神官職を独占し,政治的・経済的な特権を享受した封鎖的な身分。王の騎兵に由来するという説もあるが,実証されていない。共和政初期に,法的・政治的な同権を求めるプレブス(平民)との身分闘争が展開した結果,前367年のリキニウス=セクスティウス法,前287年のホルテンシウス法を経て,前3世紀までに参政権・通婚権に関しての完全な身分的平等の上に立つ両身分の政治的・法的同権が確立し,その後は元老院身分あるいは官職貴族としてのノビリスが政治的に積極的な意味をもってゆく。カエサル=アウグストゥス時代には血統貴族的な特権も失われ,コンスタンティヌス大帝以降は単なる称号になった。
プレブス
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「パトリキ」の意味・わかりやすい解説

パトリキ

古代ローマの血統貴族。元来政権を独占していた封鎖的な身分であるが,共和政初期プレブス(平民)との身分闘争により,リキニウス法ホルテンシウス法を経て前3世紀までに両者の政治的権利は完全平等になった。→ノビリス
→関連項目貴族クリエンテス民会ローマ[古代]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パトリキ」の意味・わかりやすい解説

パトリキ
ぱとりき
patricii ラテン語

古代ローマの世襲貴族。正しくはパトリキイ。共和政初期から中期まで平民(プレブス)に対し高級政務官・神官就任権、公務遂行の吉凶を占う卜占(ぼくせん)権等の特権をもち、国政を掌握した。これらの権利の分与を要求する平民との間に闘争が紀元前287年まで断続的に行われ、戦力として平民を必要としたパトリキは妥協を余儀なくされた。しかしコンスル(執政官または統領)に就任した最上層平民と組んで新しい貴族層(ノビリタスnobilitas)を構成し、元老院を牙城(がじょう)として共和政後期まで国政を壟断(ろうだん)した。パトリキ氏族の数はしだいに減少し、前45年カエサルは平民をパトリキに任ずるに至り、帝政期には皇帝により、この任命が行われた。コンスタンティヌス大帝以来、パトリキウスpatricius(単数)は高官の称号となった。

[平田隆一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パトリキ」の意味・わかりやすい解説

パトリキ
patrici

古代ローマの血統貴族。 pater (父) に由来する。ローマにはほかにプレプス (平民) がおり,同様に市民であったが,両身分の起源は不明。パトリキは王政期から元老院を構成し,王を合議で指名していたらしい。前6世紀末エトルリア系の王を追放して共和政を樹立。パトリキはみずからの血統を誇り,土地,家畜,奴隷および自由人の庇護民 (クリエンテラ ) を所有してプレプスを圧し,祭祀,政務官を独占した。また両身分の通婚も禁じられ,サビニ人のクラウディウス家をパトリキに受入れたのを最後に身分を封鎖した。しかし借財問題をきっかけに両者の対立が激化し,パトリキは次第に譲歩,妥協を行なった。のち執政官 (コンスル ) などの高級政務官,神官も徐々にプレプスに解放され,前 287年のホルテンシウス法で平民会が正式の国会と認められることによって両者の身分差は消滅。以後パトリキは家系としてのみ存続した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「パトリキ」の解説

パトリキ
patrici

古代ローマ共和政初期の貴族の呼称
元老院議員・コンスルなどの要職を独占していたが,プレブス(平民)の進出による身分闘争の結果,前287年ホルテンシウス法で平民との権利は対等となった。平民の中にも富裕な者が現れ,前4世紀よりパトリキ・プレブス両者を含むノビレス(nobiles)と呼ばれる新貴族階級が成立し,本来の血統の優位を失った。コンスタンティヌス1世以後は功労者に贈られるたんなる称号となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「パトリキ」の解説

パトリキ
patricii

古代ローマの血統貴族。元来は地主貴族で政権を独占していたが,プレブス(平民)との身分闘争の結果,前3世紀までに参政権や通婚権のうえで両者の完全な身分的平等がなった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のパトリキの言及

【イタリア・エチオピア戦争】より

…国際連盟はイタリアに経済制裁を課したが,ほとんど効果の伴わないものだった。イタリア軍は緒戦の勝利のあと,総司令官をデ・ボーノから軍部の切札バドリオ将軍に代え,第1次大戦以後に開発された近代兵器を駆使しての総合作戦を展開した。エチオピア側は軍事力に劣りながらもラス(地方豪族)間の連携をとってイタリア軍を分断し,よく抗戦した。…

【トリアッティ】より

…第2次大戦中はモスクワからのラジオ放送でイタリア国民に抵抗を呼びかけ,連合軍と反ファシズム諸勢力によって南イタリアが解放されたあとの44年3月,ほぼ18年ぶりに帰国した。 この時期,反ファシズム諸政党で構成する国民解放委員会と国王・バドリオ政権との間の対立が深まっていたが,トリアッティはバドリオへの協力を表明して,同年4月諸政党の参加したバドリオ政府の成立をもたらし,みずからも入閣した。サレルノ転回とよばれるこの事件は,以後のレジスタンス闘争の展開に一定の枠組みを与えることになった。…

【ファシズム】より

…ムッソリーニの逮捕に際して,当時400万を数えたファシスト党員からは何の反応も起こらなかった。P.バドリオ元帥が新首相に任命され,ファシスト党,ファシズム大評議会,特別裁判所などファシズム的諸制度は廃止された。しかし,国家機構や行政機関はそのまま維持された。…

※「パトリキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android