ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パトリキ」の意味・わかりやすい解説
パトリキ
patrici
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古代ローマの世襲貴族。正しくはパトリキイ。共和政初期から中期まで平民(プレブス)に対し高級政務官・神官就任権、公務遂行の吉凶を占う卜占(ぼくせん)権等の特権をもち、国政を掌握した。これらの権利の分与を要求する平民との間に闘争が紀元前287年まで断続的に行われ、戦力として平民を必要としたパトリキは妥協を余儀なくされた。しかしコンスル(執政官または統領)に就任した最上層平民と組んで新しい貴族層(ノビリタスnobilitas)を構成し、元老院を牙城(がじょう)として共和政後期まで国政を壟断(ろうだん)した。パトリキ氏族の数はしだいに減少し、前45年カエサルは平民をパトリキに任ずるに至り、帝政期には皇帝により、この任命が行われた。コンスタンティヌス大帝以来、パトリキウスpatricius(単数)は高官の称号となった。
[平田隆一]
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…しかし鉄製兵器の導入にともなう重装歩兵戦術の普及や貨幣形態の富の比重増大などの社会的変化によって,貴族支配はしだいに崩壊していった。ローマでも,王政に続く共和政期に,諸氏族を基盤とする出生貴族(パトリキ)の支配が見られ,その政治的拠点は元老院であった。前3世紀における貴族と平民との身分闘争ののち,新しい型の官職貴族(ノビリス)が形成されて旧貴族に取って代わり,この新貴族がコンスルなど国家の最高官職を占めた。…
…クリエンテスはラテン語で〈被保護者〉を意味するクリエンスcliensの複数形で,保護・隷属関係をクリエンテラclientelaという。身分としてのクリエンテスは,人格的には自由であったが,パトリキ(貴族)のゲンス(氏族)に所属し,その祭儀にも加わったと推定される。パトリキをパトロンとして,その服属者となり,軍事的・経済的に奉仕の義務があった。…
…前2世紀初め以降は,元老院身分中の最高の層,とくにコンスル(執政官)およびその男系の子孫を指す。政務官職の門がプレブス(平民)にも開かれるとともに,パトリキ(血統貴族),プレブスの名門層が元老院貴族を構成することになり,その中に高級政務官職を占めた層,およびその子孫が特権的な社会層をつくりあげる。それらがまずノビリスと呼ばれ,前200年ころからとくにコンスルを出した家が特別な層を形成し,上下の保護隷属関係(パトロキニウム)によって権力を培い,政権をたらい回ししながら国政をリードしてゆく。…
…古代ローマの平民身分。特権的な身分である貴族〈パトリキ〉に相対する存在。その由来は不明。…
…これ以前,平民会は全国民ではなく平民だけの集会だったので,そこでの議決は全国民に対し法的拘束力をもたなかったが,この法によって平民会の議決は全国民を拘束するものとなった。かくしてパトリキ(世襲貴族)とプレブス(平民)との身分闘争は終りを告げたが,新貴族層(ノビリタス)がすでに形成されており,ローマ国家の完全な民主化は達成されなかった。【平田 隆一】。…
…
【共和政期】
[第1期(前509‐前264)]
最後の王タルクイニウス・スペルブスが専横化すると,ローマ人はこの王を追放し(前510),共和政を始めた。初めの250年は貴族(パトリキ)と平民(プレブス)の両身分間の争いと,ローマの近隣諸種族との戦争によって特徴づけられる。貴族と平民の区別が,いつどのようにして始まったか明らかではないが,共和政に入ったころから貴族はその身分を閉鎖し自らを特権化したので,これに対して平民の反発が起こった。…
※「パトリキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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