パクパ(読み)ぱくぱ

山川 世界史小辞典 改訂新版 「パクパ」の解説

パクパ
'Phags pa

1235~80

八思巴(パスパ)ともいう。サキャ派の5代座主。伯父サキャパンディタに伴われてモンゴル宮廷に入り,1258年モンケ御前において道士を論破し名を挙げ,1260年,クビライ即位とともに国師に推戴された。パクパはクビライの命により,モンゴル帝国内の言語を転写するための文字パクパ文字を作成した。また,クビライの王権儀礼をチベット仏教によって演出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パクパ」の意味・わかりやすい解説

パクパ
ぱくぱ

パスパ

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パクパ」の意味・わかりやすい解説

パクパ

パスパ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のパクパの言及

【ラマ教】より

…チベット仏教では,この見方が正統の説とされ,もちろん,中国や日本に見られるようないわゆる〈本覚思想〉にいたっては古派以外では論じられなかった。 チベットがモンゴル人に侵されたとき,当時チベット仏教界第一の学者であったサキャ・パンディタがクテン(闊端)王のもとに呼ばれてその命令を受け,さらに元朝になると,その甥のパクパ(1235‐80)がフビライの信任をえて帝師となり,チベットの寺院社会のために多くの特権をとりつけ,その発展に貢献した。代々帝師を宮廷に送りこんだサキャ派は経済的にも潤ったが,後宮がタントラ仏教の卑猥な面を喜ぶのに迎合してその滅亡を早めた。…

※「パクパ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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