バース党(読み)ばーすとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バース党」の意味・わかりやすい解説

バース党
ばーすとう

シリアイラクなどで活動する汎アラブ民族主義政党。正式名称はアラブ社会主義バースizb al-Ba‘th al-‘Arabī al-Ishtirākī(Arab Socialist Renaissance Party)。バースは復興(ルネサンス)の意で、原音により忠実な表記はバアスである。1940年にダマスカスで秘密結社として結成され、1947年に正式発足した。結党当初はアラブ・バース党を名乗っていたが、1953年にアラブ社会党と合併し現在の党名に改称した。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」をスローガンとし、「統一、自由、社会主義」という基本原則を掲げ、アラブ統一、植民地主義およびシオニズムからの解放、アラブ大衆による社会的公正の実現を目ざした。1950年代、ヨルダンレバノン、イラクなどに勢力を拡大したが、アラブ統一実現の第一歩となるはずだったエジプトとシリアの合邦(1958~1961年)が挫折(ざせつ)して以降、活動方針やイデオロギー解釈をめぐり党内対立が激化した。1963年にシリアで、1968年にイラクでクーデターにより政権を獲得したが、この党内対立は権力の一極集中を招き、1970年にシリアでハーフィズアサド政権が、1979年にイラクでフセイン政権が誕生すると、党は権威主義体制を維持するための道具と化した。その後シリアでは2000年に前大統領の次男であるバッシャール・アサドが父の死を受けて大統領に就任し、バース党支配は「世襲共和制」(ジュムルーキーヤ)の段階に入った。一方、イラクでは2003年のイラク戦争により、フセイン政権が崩壊、バース党は反体制組織として地下に潜伏した。

[青山弘之]

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改訂新版 世界大百科事典 「バース党」の意味・わかりやすい解説

バース党 (バースとう)

第2次世界大戦後いくつかのアラブ諸国に生まれたアラブ民族主義政党。アラブ復興社会党の略称。バースba`thは復興,再生を意味する。1940年代初期のシリアのアラブ民族主義運動の組織を母体とする。それは,パリに留学し帰国後教員となったミシェル・アフラクやサラーフ・ビタールSalāḥ al-Dīn al-Biṭār(1912-80),イスケンデルン出身のザキー・アルアルスージーZakī al-Arsūzī(1900-68)らが中心となって結成された。彼らは民族的独立を目的とした従来のアラブ・ナショナリズムに対しさらに急進的な社会的闘争の目標を掲げた。47年党として正式に発足し,さらに53年ホウラーニーの率いるアラブ社会党と合併してアラブ復興社会党となった。党組織はイラク,ヨルダン,レバノン,スーダン南イエメンなどに拡大し,機構としては,これら各国レベルの組織を統括する地域指導部と,これら地域指導部を全体として統括するパン・アラブ指導部が設置された。〈統一,自由,社会主義〉に基づく単一アラブ国家の樹立を主張するが,そこではとくにアラブの統一を強調し,反資本主義,反帝国主義,反シオニズムをスローガンとした。

 バース党の基本命題であるアラブの統一は,(1)シリア,エジプト(アラブ連合共和国,1958年2月~61年9月),(2)シリア,エジプト,イラク(1963年4月,調印のみ),(3)シリア,イラク(1963年10月,決議のみ),(4)エジプト,イラク(1964年5月,合意のみ),(5)エジプト,シリア,リビアの3国連合(1971年4月,機能せず)の5回にわたって試みられた。しかしこれらの試みは,エジプトの指導権,ことにナーセルの立場とバース党との衝突をきたし,成功しなかった。

 民族主義とアラブ社会主義という立場は,1950年代後半以降,政治イデオロギーに弱い軍人や社会経済的貧困層(シリアではとくにアラウィー派などのマイノリティ)の入党を促進する要因となった。バース党は,シリアでは63年,イラクでは63年と68年に,将校のクーデタを媒介として政権を獲得した。その後バース党は,パン・アラブ指導部と地域指導部,文民と軍人,スンナ派と他の諸宗派という諸要素が錯綜し,党内諸グループの対立・抗争が激化した。その結果,イデオロギー的力点が,統一よりもアラブ社会主義に移行し,アラブ民族主義がパン・アラブ的性格を弱めて各国ナショナリズムの傾向を強めた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バース党」の意味・わかりやすい解説

バース党
バースとう
Hizb al-Ba'th al-Arabi al-Ishtiraki

国境をこえたアラブ地域内の民族政党。正式にはアラブ復興社会党という。バースとは,アラビア語で「復興」の意味。1943年M.アフラクとサラーフ・ディーン・ビータールによってシリアのダマスカスで設立され,1947年に組織化されたアラブ・バース党と,アクラム・ホウラニのアラブ社会党が 1953年に合併して成立。アラブの民族独立,統一,社会主義を綱領としている。シリアに本部があり,イラク,ヨルダンなどアラブ諸国に支部をもつ。シリアでは 1954年の総選挙後の混乱が続くなかで実力をたくわえ,軍部の一部と組み政治の実権を握った。1958年にはバース党主導のもとにエジプトとの合併によるアラブ連合共和国を樹立したが,エジプト本位の政治体制への危機感から 1961年には軍部によるクーデターが発生し,エジプトとの合併を解消した。その後再び権力闘争が続いたが,1963年3月に軍部と提携しクーデターを決行,ビータール政権を樹立した。以後バース党はシリア唯一の支配政党となったが,党内では民族主義勢力,地域主義勢力,宗派対立など派閥抗争が激化していった。その結果,1966年には創設者のアフラクやビータールが追放されるなど左右の対立が激しさを増した。そうしたなか,1970年11月にハフェズ・アル・アサドが無血クーデターで全権を掌握。以後バース党を国家の指導政党と位置づけて権威主義的な体制を確立した。なおイラクで政権をとっているバース党とは敵対関係にある。

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百科事典マイペディア 「バース党」の意味・わかりやすい解説

バース党【バースとう】

アラブ復興社会党の略称。〈バースbath〉は復興,再生の意。シリアのダマスカスに本部を置き,アラブ諸国に支部をもつアラブ民族主義政党。1953年アラブ復興党とシリア社会党が統一して結成された。アラブ統一と社会主義社会建設をめざすが共産主義には反対する。1960年代半ばからシリア,イラクの最大政治勢力となっていたが,イラク戦争の結果,イラクのバース党体制は解体された。フセイン政権のバース党幹部の一部はバグダディらイスラム過激派と合流,ISの統治体制の核となっているとされる。
→関連項目アサドアラウィー派アラブ連合共和国シリアフセインミシェル・アフラク

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知恵蔵 「バース党」の解説

バース党

シリアのギリシャ正教徒の家庭に生まれたミシェル・アフラクらが1947年に起こしたアラブ復興党が53年にアラブ社会党と合体、アラブ復興社会党が誕生した。バース党はその略称で、バースとはルネサンスを意味する。統一・自由・社会主義をスローガンに、アラブの統一とアラブ社会主義を唱えた。統一と社会主義建設によって、かつてのアラブの栄光を復活させることを目指している。この運動は国境を越えて拡大し、60年代にはバース党がイラクとシリアで権力を掌握した。シリアの場合には少数派のアラウィー派が、フセイン政権崩壊前のイラクの場合にはティクリート出身の大統領とその一族が、政権を維持する隠れ蓑にバース党という看板を使ったに過ぎない、との見方がある。イラクの場合、68年から、米国の攻撃を受ける2003年まで35年間にわたりバース党の支配下にあった。この間に育成されたテクノクラート層の多くはバース党員や支持者である。こうした人材をどう遇するかがイラク復興のカギとなる。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バース党」の解説

バース党(バースとう)
Ḥizb al-Ba‘th

シリアのミシェル・アフラクらにより1947年に結成され,その後,他のアラブ諸国にも拡大した。アラブ民族主義,社会主義,反帝国主義,反シオニズムを特徴とする。シリアでは63年,イラクでは68年にクーデタで政権を掌握する。各国に地域指導部が置かれ,それが党を統轄する。政権をとったシリア,イラクではいずれも独裁化し,本来の党綱領にあった言論や結社の自由なども認められなくなっている。2003年,大量破壊兵器所有などを理由にアメリカ軍などがイラクを攻撃したため,同国におけるバース党政権は倒壊した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「バース党」の解説

バース党
バースとう
Baath

第二次世界大戦後のアラブ諸国に生まれたアラブ民族主義政党
アラブ復興社会党の通称で,バースとは復興・再生の意。1947年ミシェル=アフラクやサラーフ=ビタールらによって結成され,統一・自由・社会主義にもとづく単一アラブ国家の建設をめざし,反資本主義・反帝国主義・反シオニズムを唱えた。党組織はイラク・ヨルダン・レバノン・スーダン・南イエメンなどにつくられた。軍人や貧困層を吸収し,1963年シリアで,63年と68年にイラクで政権を獲得したが,党内対立などによって足並みはそろっていない。

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世界大百科事典(旧版)内のバース党の言及

【アラブ連合共和国】より

…時代史的には当時アラブ地域に高まっていた全アラブ統合主義の政治的表現と見ることができる。しかし現実の統合過程において,推進母体であるエジプトのナーセルとシリアのバース党は当初から異なった期待と戦略を抱いていた。バース党が統合過程を通してシリア内部での実質的支配権を握ろうとしたのに対し,ナーセルは合邦の条件として,〈一部のシリア人が望んでいるような緩い連邦制ではなく,高度に中央集権化された統合体〉を構想していた。…

【シリア】より

… 一方,30年代から40年代にかけて,インテリ,青年,学生を中心とする民族主義者の運動が出現し新しい政党へと発展した。その代表は,宗教と国家を分離しシリア主義を唱えファシズムに影響されたサアーダの率いるシリア民族主義党(PPS)と,アラブの統一を基本命題としミシェル・アフラク,サラーフ・ビタールの率いるバース党である。また,イスラム教徒のムスリム同胞団や,クルドやキリスト教徒などに支持を得た共産党も活動を展開していた。…

※「バース党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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