バーカー
Harley Granville Barker
生没年:1877-1946
イギリスの俳優,劇作家,演出家。後年はグランビル・バーカーを姓とする。W.ポール主宰のエリザベス朝舞台協会などで活躍した後,ローヤル・コート劇場を本拠としてイギリス演劇の芸術的水準の向上と近代化とに努力。イプセン,G.ハウプトマン,A.シュニッツラーなどの外国作家の作品やG.B.ショー,J.ゴールズワージーなどイギリス作家の新作を上演し,しばしばみずから演出と主演を兼ねた。他方,ポールの影響を受けて,簡素な装置を用いて劇の流れを重視したシェークスピア上演にも功績があった。生前には実現しなかったが,シェークスピア劇を中心演目とする国立劇場の必要性をも説いた。第1次大戦のころからは現場を離れ,研究や講演に力を注いだ。その成果の一つが《シェークスピア序論集》(1927-47)である。自作の戯曲には,《ボイシーの遺産》(1905初演),《マドラス商店》(1910初演)などがある。
執筆者:喜志 哲雄
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バーカー
Barker, Ernest
[生]1874.9.23. チェシャー
[没]1960.2.17. ケンブリッジ
イギリスの政治哲学者。本来は古代ギリシア政治思想の専門家。晩年,現代の政治理論に関心をもち,ファシズム,ナチズムに対抗して,民主主義の本質を「討論による政治」であると結論づけた。彼の政治理論の立場は,H.ラスキや R.マッキーバーと並んで政治的多元主義 (→多元的国家論 ) と呼ばれているが,むしろ国家主権の限定を主張したといえる。また2人と比較して,道徳的,哲学的な性格を有している。主著『プラトン,アリストテレスの政治思想』 The Political Thought of Plato and Aristotle (1906) ,『ギリシアの政治理論-プラトンと先輩たち』 Greek Political Theory: Plato and His Predecessors (18) ,『現代政治の考察』 Reflections on Government (42) ,『政治学原理』 Principles of Social and Political Theory (51) 。
バーカー
Barker, George Granville
[生]1913.2.26. エセックス,ラウトン
[没]1991.10.27. イタリンガム,ノーフォーク
イギリスの詩人。 1939年東北大学で英文学を講じた。のちアメリカやイタリアにも在住。処女詩集を W. B.イェーツに認められ,デイ=ルイスに将来を期待されて,『悲嘆と勝利感』 Lament and Triumph (1940) ,『世界のニュース』 News of the World (1950) など多くの詩集を発表した。ほかに小説やエッセーもある。
バーカー
Barker, Sir Herbert Atkinson
[生]1869.4.21. リバプール,サウスポート
[没]1950.7.31. マン島ダグラス
イギリスの手技療法家。膝や肩の故障,テニス肘などを,外科手術や整形外科的処置を用いないで手だけで矯正して,第1次世界大戦の負傷者の治療に偉功をあげた。医師出身でないことを理由にイギリス医師会は反対したが,1922年に叙勲され,第2次世界大戦では,再び戦傷者の治療を求められ,41年マン島ダグラスのノーブル病院の医療陣に加わった。
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バーカー
英国の政治思想史学者。ケンブリッジ大学教授(1928年―1939年)。ギリシア政治思想の研究,多元的国家論の主張者として知られる。主著《プラトンとアリストテレスの政治思想》《イギリスの政治思想》《政治についての省察》。
バーカー
英国の俳優,劇作家,演出家。後年,グランビル・バーカーを姓とした。《秘められた生》(1923年)などの創作もあるが,演出家としての経験を生かした《シェークスピア序論集》(1927年―1947年)が有名。
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世界大百科事典(旧版)内のバーカーの言及
【演出】より
…フランスでは[J.コポー]が,ビュー・コロンビエ座を創設(1913),裸の舞台で,戯曲を尊重し,俳優に自由な演技を求めた。イギリスでは[H.G.バーカー]が内的真実を強調しつつ,シェークスピアを現代に復活させた。 このようなヨーロッパ演劇の影響を受けて,1907年前後から日本でも,坪内逍遥,小山内薫,島村抱月らによって近代的な演出が行われるようになった。…
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