バンテン王国(読み)バンテンおうこく(英語表記)Banten; Bantam

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バンテン王国」の意味・わかりやすい解説

バンテン王国
バンテンおうこく
Banten; Bantam

16~17世紀ジャワに栄えた王国。首都はバンテン。北スマトラ出身のファラテハンが 1526年にここに移住してイスラムを広め,次の王ハサヌッディンのとき,パジャジャラン王国を滅ぼして独立した (1568) 。ポルトガル,明,オランダなどとの交易により繁栄し,各国の商館が建てられ,王宮や家臣の住宅がある市街は堀と城壁で囲まれた。しかし,1619年オランダがジャカルタを根拠地としてから次第に圧迫され,1752年にはオランダの属国と化して事実上滅亡した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「バンテン王国」の解説

バンテン王国
バンテンおうこく
Banten

1527ごろ〜1813
ジャワ島西端のバンテン港を中心としたイスラーム王国
胡椒の積出港として繁栄したが,オランダの干渉を受けるようになり(バタヴィアに商館建設,1619),1808年には直轄領とされた。1813年にはスルタンも廃止されて滅亡。

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世界大百科事典 第2版 「バンテン王国」の意味・わかりやすい解説

バンテンおうこく【バンテン王国】

インドネシア,ジャワ島西端のバンテンBanten港を中心として1527年ごろから1813年まで存続した王国。ヨーロッパ文献にはバンタムBantamと記される。北スマトラのパサイ出身のいわゆる〈9聖人〉の一人スーナン・グヌン・ジャティ(ファラテハン)は1524年にジャワ北岸のデマックにイスラムを伝え,さらに布教と貿易の根拠地を求めてバンテンに移動した。バンテンはしばらくのあいだデマックの属国としてグヌン・ジャティの支配を受けたが,1552年ごろ以後,彼は本拠を約300km東方のチェリボン港に移し,彼の子ハサヌッディン(在位1552‐70)がバンテンの王統を継いで別の王国となった。

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世界大百科事典内のバンテン王国の言及

【オランダ領東インド】より

…やがて東インドに来航する船は激増し,各地の航海会社間の競争を解消するために,1602年にオランダ東インド会社が設立された。バンテン王国の藩属国ジャカルタは良港であったため,イギリス,オランダ両国の争奪の的となり,イギリス・バンテン連合軍はオランダの要塞を19年に包囲したが,第4代オランダ東インド総督J.P.クーンはこれを守り通し,正式にこの地をバンテン王から譲り受けてバタビアと改称した。クーンはモルッカ諸島の香辛料貿易にも進出し,バンダ諸島の原住民を殺したり移住させたりしてニクズクの収穫をほとんど独占した。…

【バンテン農民反乱】より

…植民地政府の対抗措置のために,目ざすバンテンの中心地セランを攻撃するまでにいたらず,7月30日には完全に鎮圧されてしまう短命のものであった。この一連の反乱行動は,16世紀以来のバンテン王国の伝統社会がオランダ支配の強化によって崩壊していく中で,税や労役の重い負担を負わせられ生活の困苦を強いられた大多数の農民の経済的不満と,イスラム教徒としての異教徒(カーフィル)支配への宗教的反感とが結合して,ことにハジ(メッカ巡礼者)を頂点とする師弟関係およびタレカット(タリーカ)と称する神秘性をもつ兄弟関係よりなる,イスラム集団の組織力に依拠する形で噴出したもので,20世紀の民族独立運動へ連続していくものを確かに内包していたといえよう。【森 弘之】。…

※「バンテン王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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