日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
バルフォア(1st Earl of Balfour, Arthur James Balfour)
ばるふぉあ
1st Earl of Balfour, Arthur James Balfour
(1848―1930)
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学を卒業後、哲学の研究を行う一方、1874年保守党下院議員として政界入りした。1886年スコットランド担当相となり、1887~1891年にはアイルランド担当相として、アイルランド国民同盟の運動に激しい弾圧を加えた。1902年首相に就任、南アフリカ戦争(ブーア戦争)で苦戦した教訓のうえにたって帝国防衛委員会を設立、外交面ではイギリス・フランス協商を成立させた。保守党が、ジョゼフ・チェンバレンの関税改革運動をめぐって内部分裂するなかで、1905年12月に首相を辞任、1906年の下院選挙に命運をかけたものの、保守党の大敗という結果を招じた。1911年保守党党首の座をボナ・ローに譲ったが、第一次世界大戦中は海相、外相として活躍、外相在任中の1917年には、シオニストに対してパレスチナに民族的郷土の樹立を認める「バルフォア宣言」を発した。戦後は枢密院議長、ワシントン会議首席代表などを務めた。
[木畑洋一]
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