バビロン(英語表記)Babylon

翻訳|Babylon

精選版 日本国語大辞典 「バビロン」の意味・読み・例文・類語

バビロン

(Babylon) バグダードの南方八〇キロメートルにあった古代都市。ユーフラテス川に臨む。バビロン第一王朝・新バビロニア王国の首都として繁栄。新バビロニアネブカドネザル二世のときに特に栄え、オリエント世界の一大中心地となった。紀元前三世紀頃衰えた。バベル。

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デジタル大辞泉 「バビロン」の意味・読み・例文・類語

バビロン(Babylon)

バグダッドの南、ユーフラテス河畔にあった古代都市。前25世紀ごろ建設され、アッカドウルバビロニアなどの首都となり、古代メソポタミア文明の中心として栄えた。前3世紀ごろ衰退して消滅。遺跡群は2019年に世界遺産(文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「バビロン」の意味・わかりやすい解説

バビロン
Babylon

イラク中部,バグダードの南90kmのユーフラテス川両岸にまたがるメソポタミアの古代都市。古代名は〈神の門〉を意味するアッカド語のバビリムBab-ilimに由来し,聖書ではバベルBabelと記されている。守護神はマルドゥク。前3千年紀末に記録に現れるが,重要な役割を果たしたのは,アムル人(アモリ人)のバビロン第1王朝が成立し,第6代目の王ハンムラピ(在位,前1792-前1750)が即位してからである。ハンムラピは外交と軍事に優れた才能を発揮し,在位中にエラム,ラルサ,エシュヌンナ,マリを相次いで倒してメソポタミアを統一した。その間に有名な〈ハンムラピ法典〉を制定しているので,おそらく都市,宮殿,神殿,ジッグラトなどの建設活動も盛んに行われたであろうが,バビロンの発掘では彼の造営になる建物は何一つ知られていない。

 バビロン第1王朝はカッシート人に滅ぼされ,彼らの支配下のバビロンからはクドゥルkudurruと呼ばれる境界石が知られているにすぎない。カッシート王朝の滅亡(前12世紀半ば)後はいくつかの弱い王朝が興亡し,政治的に不安定な時代が続いた。アッシリアの攻撃をうけたときのセンナヘリブ(在位,前704-前681)の破壊はすさまじく,バビロンは沼沢地のようになったが,前625年には独立し,次いでメディア人,スキタイ人と連合してアッシリアを滅ぼし,新バビロニア王国を建設した。これはカルデア王朝とも呼ばれる。ネブカドネザル2世(在位,前604-前562)は,各地に遠征し,反抗する都市は,例えばバビロン捕囚のような形で徹底的に抑圧し,また大規模な首都再建を実行した。1899-1917年に行われたドイツ人コルデワイR.Koldeweyの発掘によって明らかにされ,よく復元図に示されているバビロンはこの時代のものである。都市は方形で二重の城壁に囲まれ,ユーフラテス川が中央を流れる。推定復元で長方形とされた内城壁の長辺が約2600mある。その西側にネブカドネザルの宮殿,〈空中庭園〉などがある。新バビロニア時代をさかのぼる層は湧水のため発掘できなかった。聖域の東に住民の居住区があった。ヘロドトスの《歴史》によると,規模は巨大であり,〈われわれの知る限り他に類のないほど美しく整備された町〉(第1巻)と記されている。前539年にペルシアのキュロス2世によって独立を失ったが,東方世界における華麗な都としての地位は変わらず,アケメネス朝ペルシア時代でもバビロンを中心におき,川や運河を表現した地図が描かれた。アレクサンドロス大王が遠征の途中で病死したのもここであった。

 しかし時の経過とともにバビロンの意義は減少し,パルティア人による前124年の占領はこの傾向を決定的にした。そして後1世紀の後半につくられた《ヨハネの黙示録》は壮麗な都バビロンが一瞬にして無に帰してしまった(18章)と記す。その成立年代は明確でないが,《イザヤ書》18章や《エレミヤ書》50章の預言が文字通り成就されたものとみなされて,欧米のキリスト教社会では,〈バビロン〉を堕落した社会の象徴とし,ローマやロンドンを比喩的に指すこともある。また17世紀のプロテスタントはローマ・カトリック教会をThe Whore of Babylon(バビロンの退廃社会)と呼んで非難した。他方,例えばF.S.フィッツジェラルドの小説《雨の朝パリに死すBabylon Revisited》(1931)のように,栄光の時代を示すこともある。なお,イラク考古総局は,イタリア政府の技術協力によってバビロンの復元事業を継続中である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バビロン」の意味・わかりやすい解説

バビロン
Aṭlāl Bābil; Babylon

イラクの首都バグダードの南方約 88km,ヒッラ近郊にあった古代都市。バビロニア語でバビル Bab-ilu,古バビロニア語でバビリム Bāb-ilim,ヘブライ語でバベル Bavel; Babelと呼ばれた。ユーフラテス川のほとりに位置し,シリアとペルシア,およびチグリス川とユーフラテス川両河川を結ぶ交通の要地として,前19世紀バビロン第1王朝の首都となり,ハンムラビ王の時代に最も栄えた。以降は守護神マルドゥクの信仰を発展させ,宗教的にも重要な都市となり,後世の王たちの即位式がバビロンで行なわれた。その後ヒッタイトの侵入,アッシリアとの戦いで戦禍を被ったが,前7~前6世紀の新バビロニア時代にナボポラッサルネブカドネザル2世のもとで王国の首都として繁栄した。前539年以後アケメネス朝ペルシアの支配下に入り,クセルクセス1世治下の前482年に反乱を起こし破壊された。前323年アレクサンドロス3世(大王)のときマケドニア王国の首都に定められたが,彼の死後しだいに衰微した。1899~1917年ドイツ・オリエント学会のロベルト・コルデワイが発掘を行なったが,出現した都市遺跡は新バビロニア時代のものであった。二重の城壁で囲まれた都市のほぼ中央をユーフラテス川が流れ,東岸の旧市街と西岸の新市街に分かれている。東岸に設けられた神域(テメノス)には,マルドゥクをまつる神殿エサギラと,旧約聖書バベルの塔の原型とされるジッグラト(聖塔)のエテメナンキのほか,イシュタル神殿など多くの神殿が建造されていた。旧市街の北側には城塞を南北にまたぐ王宮が建てられ,南の王宮には広い玉座の間や博物館,屋上庭園(→バビロンの吊り庭園)がつくられた。王宮の東に位置する正門はイシュタル門と呼ばれて「行列道路」に連なり,彩釉煉瓦の壁面に描かれたライオンなど動物の浮彫で知られる。城塞都市のさらに外側(東岸)にも壁が築かれ,北方には夏の王宮があった。一帯は 2019年世界遺産の文化遺産に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バビロン」の意味・わかりやすい解説

バビロン
ばびろん
Babylon

古代バビロニアおよび新バビロニア(カルデア朝)の首都として繁栄した古代都市。その遺跡はイラク共和国の首都バグダード南方約110キロメートルのユーフラテス川河畔にある。バビロンの名は、シュメール語カ・ディンギル「神の門」を、バビロニア語に訳したバーブ・イル(ここからヘブライ語バベルが出た)、あるいはイル「神」を複数にしたバーブ・イラーニのギリシア語形で、もとここはメソポタミアの古い神域であった。バビロンについての記録はアッカド朝シャルカリシャッリ王(前2300ころ)にさかのぼるが、もっとも繁栄したのはバビロン第1王朝、とりわけ英主ハムラビ王(在位前1792~前1750または前1728~前1686)の時代であった。バビロン第9王朝を継ぐ新バビロニア(カルデア王朝、前625~前539)の第2代ネブカドネザル2世(在位前605~前562)のもとでバビロンは新たに補修・造営されたが、前539年にアケメネス朝ペルシアの攻撃を受けてこの王朝は倒れ、ついでこの地に入ったマケドニアのアレクサンドロス大王がここで没してから、セレウコス朝(シリア王国)のもとで近くにセレウキアが建設されたためにバビロンは衰退した。

 バビロンについては『旧・新約聖書』、古典古代の著述家(とくにヘロドトス)が種々の伝承・記述を伝えている。『旧約聖書』では、いわゆるバベルの塔(ジッグラト)、バビロニアによるユダ王国の征服、バビロン捕囚(前597、前586)とバビロンからの帰還、バビロンの陥落などが記されており、とりわけバビロン(新バビロニア)の横暴を憤り、その滅亡を予言する「エレミヤ書」、捕囚の苦しみを歌う「詩篇(しへん)」第137篇などはよく知られている。

 近代になって、ハムラビ法典やバビロンの新年祭(アキトゥー祭)文書、多くの年代記などの楔形(くさびがた)文字文書から、バビロンをめぐる歴史、宗教、社会などがかなり明らかになった。また1899~1917年にはR・コルデウァイの指揮下にドイツ調査団がこの地を発掘し、主としてネブカドネザル2世治下のバビロン(ユーフラテスを挟む城壁、中央のジッグラト、イシュタル門と通り、いわゆる空中庭園の跡など)が確認された。

[矢島文夫]

『パロ著、波木居斉二訳『ニネヴェとバビロン――続・聖書の考古学』(1959・みすず書房)』『J・G・マッキーン著、岩永博訳『バビロン』(1976・法政大学出版局)』


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百科事典マイペディア 「バビロン」の意味・わかりやすい解説

バビロン

メソポタミアの古代都市。現,イラク中部,バグダッドの南90kmのユーフラテス川両岸にある。前18世紀のハンムラピ時代からヘレニズム時代に至るまでオリエント文明の中心。守護神マルドゥクのジッグラトは〈バベルの塔〉として有名。現在の遺跡は四つの遺跡丘からなり,発掘された遺構はほとんどがネブカドネザル2世の造営にかかる。後世,キリスト教徒によって退廃の代名詞とされた。
→関連項目コルデワイ新バビロニアレヤード

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バビロン」の解説

バビロン
Babylon

メソポタミアの都市。「神の門」の義。ウル第3王朝時代に主要都市の一つとして登場するが,バビロンが世界の中心としての地位を得たのは,バビロン第1王朝のハンムラビが再統一を果たし,バビロンの都市神マルドゥク神が神々の王とされたときからである。以後,王朝は交代しても,バビロンが世界の中心という位置づけに変更はなかった。新バビロニア王朝のネブカドネザル2世は「バベルの塔」や王宮,城壁をつくるなど大規模なバビロン復興を実行した。

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知恵蔵mini 「バビロン」の解説

バビロン

イラクの首都バグダッド南方にあった古代メソポタミア文明の中心都市。チグリス川とユーフラテス川に近接する交通の要衝として、紀元前1900年頃から同300年頃にかけて繁栄した。王宮、城壁、神殿などで構成され、青い釉薬タイルで装飾された「イシュタル門」、旧約聖書に登場する「バベルの塔」の原型とされる聖塔などが建造された。城壁内に築かれたとされる階段状に配置された「空中庭園」は世界の七不思議の一つとしても知られる。1800年代に遺跡の発掘調査が始まり、2019年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録された。遺跡はサダム・フセイン(1937-2006年)政権時代や03年のイラク戦争中に損傷を受けており、保護に向けた計画が策定されることになっている。

(2019-7-9)

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旺文社世界史事典 三訂版 「バビロン」の解説

バビロン
Babylon

ユーフラテス川河畔にある古代都市
「神の門」の意。前30世紀ごろ建設。ハンムラビ王のとき古バビロニア王国の首都となり,のちアッシリアの支配時代に破壊された。新バビロニア王国時代に再建されて世界的都市となる。アケメネス朝時代にも栄え,スサなどと並び4都の1つとされた。

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