バスク祖国と自由(読み)バスクそこくとじゆう(英語表記)Euskadi Ta Askatasuna; ETA

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バスク祖国と自由」の意味・わかりやすい解説

バスク祖国と自由
バスクそこくとじゆう
Euskadi Ta Askatasuna; ETA

スペインバスク地方の分離独立派組織。テロ行為を通じてバスク地方の独立運動を進めた。1894年創設のバスク国民党 PNVから 1959年,武力闘争を拒否する党の方針に不満をもつ者が離党し,創設。組織の目標に革命的社会主義を掲げたが,1966年,イデオロギーの違いから,バスクの自治という従来の目標に忠実な民族主義派 ETA-Vと,マルクスレーニン主義に基づくバスク独立を志向するイデオロギー派 ETA-VIに分裂した。破壊行為や 1968年以降の暗殺活動にかかわるのは ETA-VIである。フランコ政権から激しい弾圧を受け,1969~70年には有力な指導者らが一斉に逮捕され軍事裁判にかけられた。1970~80年代には派閥主義が強まり,武力闘争派から政治行動派までさまざまなグループに分かれた。1975年のフランコの死亡後,スペイン民主政府はバスク地方の自治の確立へ動き,テロ活動を放棄した者に恩赦を与えた。しかし,その後の 10年間に ETAが関与した爆弾テロや暗殺は,厳しい弾圧下にあったフランコ時代の 10倍を数えた。犠牲者の多くは軍将校,司法関係者,政府要人らであった。一方選挙を戦うため,エリ・バタスナなどの政治組織を結成した。政府に拘束されたり,派閥抗争で落命したりする指導者が続出したが,組織の活動は続いた。1983年には ETAメンバー 2人が政府の治安部隊に誘拐され殺害された。ETAに対するいわゆる「汚い戦争」の一部とみられる事件である。1998年停戦を宣言したが,1年あまりで破棄。21世紀初頭に ETAの暴力活動が続いたことを機に,スペイン政府は再び ETAの制圧に乗り出した。2006年再び無期限停戦を発表したが,翌 2007年破棄,2010年武力行為停止の声明を発表したが,政府はこれを受け入れず,暴力活動の放棄と武装解除を求めた。2011年1月10日,恒久的全面的かつ査察も受け入れる休戦を宣言,同年 10月20日には,武装活動の完全停止を宣言した。(→バスク独立運動

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百科事典マイペディア 「バスク祖国と自由」の意味・わかりやすい解説

バスク祖国と自由【バスクそこくとじゆう】

バスク民族運動の急進派の組織。バスク語でEuzkadi ta Askatasuna(略称ETA)。1959年バスク国民党青年部の一部とビルバオの青年グループ〈エキンEkin〉(行動)が結成,民族解放革命運動をめざし,武力闘争を辞さず,1968年以降テロによる犠牲者も少なくない。スペイン政府はフランスと協議し,フランス・バスクからETAメンバーを締め出した。1979年総選挙から登場した〈民衆連合(HB)〉はETAを支持する公然組織である。1998年9月,全面的かつ無制限の停戦を一方的に宣言したが,1999年末には停戦を放棄,2000年以降テロが増加している。
→関連項目スペイン

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デジタル大辞泉プラス 「バスク祖国と自由」の解説

バスク祖国と自由

《Euzkadi Ta Askatasuna》バスク独立を目指す分離主義過激組織。1959年結成。スペイン全土およびフランス南西部のバスク諸県で活動。スペインの治安当局や政治家、ジャーナリスト等を対象とするテロを実行。2000年代後半から、スペイン当局により多数のメンバーが逮捕された結果弱体化。2011年に無期限停戦を表明。2018年5月、組織解体を表明。

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