日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
バウアー(Otto Bauer)
ばうあー
Otto Bauer
(1881―1938)
オーストリア社会民主労働者党の政治家。ユダヤ人繊維工場主の子としてウィーンに生まれる。ウィーン大学に学んだのち、1907年以来、同党の『労働者新聞』、理論誌『闘争』の編集者となり、オーストリア・マルクス主義の理論家、とくに民族問題の分析で知られた。第一次世界大戦でロシア軍の捕虜となり、帰国後、同党左派の指導者となったが、ボリシェビズムには反対、1918~1919年、外相として年来の構想であるドイツとの合併に尽力、1926年には同党のリンツ綱領の作成に寄与した。1934年2月のドルフュス政権に対する抵抗が挫折(ざせつ)したのち、チェコのブリュン(現ブルノ)に逃れて闘争を継続したが、1938年ヒトラーの進駐によってパリに移り、同年7月4日急死した。
[松 俊夫]
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