ハンマープルクシュタル(英語表記)Joseph Freiherr von Hammer-Prugstall

改訂新版 世界大百科事典 「ハンマープルクシュタル」の意味・わかりやすい解説

ハンマー・プルクシュタル
Joseph Freiherr von Hammer-Prugstall
生没年:1774-1856

オーストリア外交官,東洋学者。グラーツに生まれ,ウィーンの東洋語学校に学び,東洋諸国語の通訳として活躍,後に宮廷通訳官,男爵,学士院長となった。西洋諸国語に加え,アラビア語ペルシア語,トルコ語にも通じ,多数の翻訳・著作を残した。とりわけ,《オスマン帝国史》10巻(1827-32)は,史料批判に問題を残すが,豊富なトルコ語史料に基づく通史として現在でも有用である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハンマープルクシュタルの言及

【トルコ学】より

…16世紀のビュズベクOgier Ghiselin de Busbecq(1522‐99),17世紀のリコーPaul Rycaut(1628‐1700),18世紀のドーソンIgnatius Muradgea D’ohsson(1740‐1807)らの報告・研究があげられる。しかし,トルコ学を近代的学問の基礎の上に築いたのは,オーストリアの外交官・東洋学者ハンマー・プルクシュタルであった。彼が年代記や古文書のトルコ語史料を駆使して書き上げた《オスマン帝国史》は,今日なお利用価値をいささかも失っていないばかりか,このほかに,《キプチャク・ハーン国史》《イル・ハーン国史》《クリム・ハーン国史》などをも著し,トルコ学・モンゴル学の創始者となった。…

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