精選版 日本国語大辞典 「ハルデンベルク」の意味・読み・例文・類語
ハルデンベルク
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プロイセンの政治家。由緒ある旧貴族の家柄に生まれる。母国ハノーバーなど各地で改革的官僚として活躍。1791年以後プロイセン国王に仕え、1804~1806年、1807年外相となったが、ナポレオン1世の要求で罷免された。1810年、シュタインが罷免された後を受けて宰相になり、以後シュタイン‐ハルデンベルクの改革として知られるプロイセン改革をはじめとして、内・外政を指導した。行政機構・教育制度・軍制の改革、農業改革、営業の自由化、ユダヤ人の解放など広範な自由主義的改革を推進、国力の急速な復興に貢献したが、ユンカーに大幅に妥協した農業改革など不徹底な面も残した。対外的には、解放戦争に参加してナポレオンを倒し、ウィーン会議ではプロイセン全権代表として出席、領土拡大に成功してプロイセンの国際的地位を高めた。しかし王政復古下の憲法制定と議会開設の努力は実を結ばなかった。
[岡崎勝世]
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1750~1822
プロイセンの政治家。1804~06年および07年外相。10~22年宰相。シュタインのあとを受けてプロイセン改革を推進し,行政機構改革,農業改革,営業の自由化などを行った。ウィーン会議でプロイセンを代表,革命の再発防止ではメッテルニヒに協力したが,経済政策は自由主義的で,プロイセンの経済発展の基礎を築いた。
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…クヌットの姉エストリドの子スベン2世Svend II(在位1047‐74)は,その統治期間中に現代のデンマークにつながる内政的秩序を打ち立て,後の王はなんらかの形で彼に血統をさかのぼらせることになる。彼の孫の代で王位をめぐる内戦状態に入り,1157年バルデマー1世が唯一の王となり,内戦を終結させた。バルデマー1世はランスティング(国民集会)の同意を条件に王位世襲の原則を確立した。…
※「ハルデンベルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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