ハルシュタイン・ドクトリン(読み)はるしゅたいんどくとりん(英語表記)Hallstein Doctrine

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ハルシュタイン・ドクトリン
はるしゅたいんどくとりん
Hallstein Doctrine

1955年末に表明された、「ソ連を除き、東ドイツ承認する国家とは外交関係を結ばない」という旧西ドイツの外交上の原則をいう。当時の西ドイツ外務次官ハルシュタインW. Hallsteinの名をとってこのようによばれるが、実際の提唱者は当時アデナウアー首相の顧問をしていたW・グレーウェWilhelm Greweであったともいわれる。この原則は、西ドイツのみが国際法上存在する唯一のドイツ国家であり、したがって全ドイツ民族を代表し、その名の下に行動することができる唯一の主体であるとする唯一代表権の主張に基づき、57年ユーゴスラビア、63年キューバに適用された。こうしてこの原則は、一時は東ドイツの国際法的承認を妨げるうえでかなりの効果をあげたが、現実はかえってこの原則に固執すればするほど西ドイツ自らの孤立を招く結果になった。67年西ドイツはルーマニアと外交関係を樹立、また翌68年ユーゴと外交関係を再開して、事実上同原則を放棄した。

[深谷満雄]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ハルシュタイン・ドクトリン
Hallstein-Doktrin

東ドイツと国交を結ぶ国とは外交関係を断つという,西ドイツのアデナウアー政権の外交方針。西ドイツは1955年9月,ソ連と国交を回復したが,同月ソ連は東ドイツを承認。それに対し,ドイツを正当に代表するのは西ドイツだけであるという立場を明確にするために出されたもの。時の外務次官ハルシュタインの名にちなんでそう呼ばれた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハルシュタイン・ドクトリンの言及

【ドイツ連邦共和国】より

…アデナウアーは,とくにフランスとの和解,友好,協力に努め,戦後の独仏協力体制の基礎を作った。 55年以来,ハルシュタイン・ドクトリンによって,西ドイツ政府が唯一のドイツ国民の合法政府であることを主張,ドイツ民主共和国(東ドイツ)を承認する国とは断交措置をとるとの方針で,東ドイツを国際舞台から締め出すことに成功したが,60年代後半から,東ドイツによる第三世界への働きかけが徐々に成功しはじめ,承認国が増えるようになり,西ドイツは防衛にまわることを余儀なくされた。60年代の終りには,ハルシュタイン・ドクトリンは事実上有効性を失っていったが,61年東ドイツ政府がベルリンの壁を構築して以来,東西ドイツの統一はますます遠のいていった。…

※「ハルシュタイン・ドクトリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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