ハットゥサ(読み)はっとぅさ

世界大百科事典(旧版)内のハットゥサの言及

【アッシリア】より

…主要都市としては,アッシュールのほかにニネベ,ウルビルム(後のアルベラ)があった。アッシリアには大理石などの石材のほかは資源が乏しく,早くから遠距離貿易が発達したが,前19世紀には小アジアにアッシリア人の商業植民地カニシュやハットゥサが建設され,母市アッシュールとゆるやかに結びついて活発な交易活動を行っていたことが,3代にわたる植民地商人の記録によって明らかになった。アッシリアに初めて大きな政治的統一をもたらし,北方の一強国を建設したのが,同世紀末に現れたアムル人出身のシャムシアダド1世(在位,前1813‐前1781)で,マリを征して北メソポタミアのほぼ全域を支配した。…

【ボアズキョイ】より

…トルコ中央部,アンカラの東約200kmにある,前16世紀から前1200年ころまでヒッタイト王国の首都であったハットゥサḪattušaの遺跡名。ほとんど完全に忘れられていたヒッタイトの存在を,発掘によって確認した。…

※「ハットゥサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」