ハウスホーファー(英語表記)Karl Haushofer

改訂新版 世界大百科事典 「ハウスホーファー」の意味・わかりやすい解説

ハウスホーファー
Karl Haushofer
生没年:1869-1946

ドイツ地政学の代表者。ミュンヘン名家に生まれた。1887年から1918年まで軍務に従事し,インド,東アジア,シベリアに旅行。1908年から10年までバイエルン参謀部の委嘱によって日本滞在。19年ミュンヘン大学で地理学教授資格試験に合格,21年名誉教授となる。《日本防衛の地理的基礎》(1911),《ダイニホン》(1913),《日本の地理的開発とドイツ》(1914),《日本の政治派閥》(1914),《日本帝国発展の地理的基礎方向》(1920),《日本帝国》(1921)など,特殊な近代化をたどった日本に関する論考が目だつ。ドイツにおけるナチズムの隆盛に呼応して,24年には《地政学雑誌》を創刊,ラッツェル以降の〈自然環境〉や〈生活空間〉をはじめとする地理学の諸概念を濫用して,国家の膨張政策に一方的な理論的枠組みを与えた点が厳しい批判を招く。《太平洋地政学》(1924。邦訳1942)などの論調は,第2次大戦終結まで日本における地政学にも大きい影響を投げかけた。
執筆者: 彼は終生オカルティズムや占星術に関心を示したが,これは東洋での体験があずかって大きいといわれる。またミュンヘン大学時代にはR.ヘスが彼の受講生になった縁でヒトラーと知りあった。初期ナチス外交政策にはハウスホーファーの影響が大きく,ヒトラーの自伝《わが闘争》にもそれが及んでいるとされる。しかし,ユダヤ人を妻としたことなどもあって,彼の影響力は持続しなかったものの,第2次大戦に際して彼は自国の不利をいち早く認識し,息子アレクサンダーを通じてイギリスとの秘密和解交渉を行う一方,41年にヘススコットランド無断渡航するのに力を貸したともいわれている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハウスホーファー」の意味・わかりやすい解説

ハウスホーファー
Haushofer, Karl

[生]1869.8.27. ミュンヘン
[没]1946.3.13. 南バイエルン,ワイルハイム近郊
ドイツの政治地理学者。ミュンヘン大学教授の息子として生れ,第1次世界大戦の終りまで軍人 (准将) 。 1908~10年日本に軍務で滞在。政治地理学の世界的規模の諸問題に目ざめ,24年『地政学報』 Zeitschrift für Geopolitikを創刊。 20~30年代はミュンヘン大学で地政学を講義,彼の理論は教え子の R.ヘスを通じてナチス・ドイツの侵略主義の正当化に利用された。第2次世界大戦末期の 1944年ベルリン大学で教授をしていた息子のアルプレヒトが七月二十日事件に関連したためゲシュタポに逮捕された。戦後ニュルンベルク裁判で無罪となったが,息子の死を悲しみ妻とともに自殺。主著"Geopolitik des pazifischen Ozeans" (1924) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハウスホーファー」の解説

ハウスホーファー
Karl Haushofer

1869~1946

ドイツの軍人で,地政学者としてナチスの侵略政策を積極的に擁護した。第二次世界大戦後,妻とともに自殺した。その子アルブレヒト(Albrecht,1903~45)も地政学者として父に協力したが,1944年,七月二十日事件に連座し逮捕され,のち射殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハウスホーファー」の解説

ハウスホーファー Haushofer, Karl

1869-1946 ドイツの軍人,地政学者。
1869年8月27日生まれ。明治42年(1909)陸軍将校として来日し,帰国後,少将。のちミュンヘン大教授となり地政学を研究。ドイツ-アカデミー会長,さらにヒトラーの顧問としてナチス外交を推進したが,戦後1946年3月13日妻とともに自殺。76歳。ミュンヘン出身。著作に「太平洋地政学」など。

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百科事典マイペディア 「ハウスホーファー」の意味・わかりやすい解説

ハウスホーファー

ドイツの地政学者。軍人出身。地政学を発展させ,のち1931年ごろから国家社会主義的傾向を強め,ナチスの外交顧問となった。1903年―1910年アジア,日本に滞在,《日本および日本人》《太平洋地政学》などの著作がある。自殺。

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367日誕生日大事典 「ハウスホーファー」の解説

ハウスホーファー

生年月日:1869年8月27日
ドイツの政治地理学者
1946年没

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世界大百科事典(旧版)内のハウスホーファーの言及

【地政学】より

…地政学という名称を最初に用いたのは(1916),スウェーデンの学者チェレン(ヒェレン)Rudolf Kjellén(1864‐1922)であったが,内容的にはドイツのF.ラッツェルが,すでに生存圏肯定の理論としてI.カントの政治地理学を再編成し直し,ドイツの植民地拡大政策の根拠づけを行っていた(1889)。ラッツェルとチェレンの生存圏,自給自足,大陸国家優先の地政学は,ドイツのK.ハウスホーファーによって受け継がれた。地球上の生存空間を求める国家間の競争が,政治地理,経済地理,さらにその根幹となる自然地理から科学的に説明できるとする彼の学説は,世界が汎アメリカ,汎アジア,汎ユーロアフリカ,汎ロシアの四つの総合地域に統轄されると主張し,その中でドイツの支配する汎ユーロアフリカ地域のみが大陸海洋両様地域として発展しうるという,ナチス・ドイツのイデオロギー的基礎となる地政学を展開した。…

※「ハウスホーファー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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