ハイム(英語表記)Albert Heim

精選版 日本国語大辞典 「ハイム」の意味・読み・例文・類語

ハイム

[一] (Albert Heim アルベルト━) スイスの地質学者。チューリヒ大学教授。アルプス地形・地質を研究し、アルプスの地質構造解明に先駆的役割を果たした。息子アルノルトとの共著「スイスの地質」がある。(一八四九‐一九三七
[二] (Georg Heym ゲオルク━) ドイツの詩人。表現主義の先駆者。フランス象徴派の影響を受け幻想的な詩を書いた。詩集「永遠の日」「生の影」など。(一八八七‐一九一二

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デジタル大辞泉 「ハイム」の意味・読み・例文・類語

ハイム(〈ドイツ〉Heim)

家。住まい。また、家庭。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハイム」の意味・わかりやすい解説

ハイム
Albert Heim
生没年:1849-1937

スイスの地質学者。チューリヒの銀行家の子として生まれ,父から山の景観への関心を,母から絵画の才能を受け継ぐ。これが彼の後の仕事を支えた。チューリヒ大学の卒業論文でアルプスの氷河を研究,卒業後ベルリンに学び,北欧を旅行。1873年からチューリヒ工科大学,続いで75年からチューリヒ大学教授としてアルプスの地質研究に努めた。78年には《造山の機構》を発表,アルプス山脈の押しかぶせ構造,二重の横臥褶曲などを詳細かつ美しい図で記載し,その成因を地球の熱的収縮説で説明,その後の地質学界に大きな影響を与えた。第1次大戦後,大著《スイスの地質》を息子アーノルドArnold H.(1882-1965)や弟子などの協力で出版(1916-22),世界の褶曲山脈典型として広く読まれた。1895年から1905年のシンプロン・トンネルの掘削のときには,地質構造や地下温度について予測した。1894-1926年,スイス地質委員会(地質調査所)の長としてスイス全土の地質図を完成させた。
執筆者:

ハイム
Georg Heym
生没年:1887-1912

ドイツの表現主義の詩人。シュレジエン(現,ポーランド領シロンスク)のヒルシュベルクに生まれ,大学では法律を学んだが,在学中にベルリンの学生同人のつくる〈新クラブ〉に加わり,挑発的な抒情詩作風によって一躍新進詩人としての地位を獲得した。形式の上では,ゲオルゲ風の古さを脱していないが,ニーチェ,ランボーといった先行の近代批判精神の影響を受け,現実の生の背後にひそむ暗黒や恐怖の予感を,動的で醜怪な幻想に託して歌い,都市,貧困,病気,戦争,死などのテーマに近代的表現の可能性を開き,後続の表現主義詩人らの先駆者となった。ベルリン郊外の湖で溺死夭逝を惜しまれた。詩集《永遠の日》(1911),《生の影》(1912)のほか,短編小説集《盗人》(1911)と数編の戯曲がある。
執筆者:

ハイム
Karl Heim
生没年:1874-1958

ドイツのプロテスタント神学者。チュービンゲン大学で組織神学を教え,説教者としても著名。ルター派の伝統に立ち敬虔派の信仰を重んじつつ,自然科学に及ぶ現代思想の諸潮流との折衝を試み,現代における信仰の確かな根拠を明らかにしようとした。ナチには反対の立場を堅持した。著書に《信仰の確かさ》(1916),《福音主義信仰と現代の思考》6巻(1931-52)などがある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイム」の意味・わかりやすい解説

ハイム
Heim, Karl

[生]1874.1.20. ウュルテンベルク
[没]1958.8.30. テュービンゲン
ドイツの福音主義的神学者。ルター主義のなかの敬虔派に属する。 1914年ミュンスター,20年テュービンゲンの各大学組織神学教授。自然科学的思惟と対決し,敬虔派の信仰を現代世界に生かそうとした。その結果,二元的対立図式に代り,「対象界-我-汝-神」という,次元を異にしつつ,弁証法的に相関している次元的思考図式を提示。主著『世界の未来像』 Das Weltbild der Zukunft (1904) ,『福音的キリスト教の本質』 Das Wesen des evangelischen Christentums (26) ,『信仰と生』 Glaube und Leben (28) ,『福音的信仰と現代の思想』 Der evangelische Glaube und das Denken der Gegenwart (34~52) 。

ハイム
Heim, Albert

[生]1849.4.12. チューリヒ
[没]1937.8.31. チューリヒ
スイスの地質学者。銀行家の子。チューリヒ大学およびチューリヒのスイス連邦工科大学卒業。同大学地質学教授 (1873) 。チューリヒ大学地質学教授 (75) 。スイス地質委員会会長。アルプス山脈の地質学研究に一生を捧げ,特にスイスアルプスの大規模な押しかぶせ構造を詳しく研究し,これを中心に造山論を展開した。収縮説に基づく古典的造山論の泰斗として知られる。主著『スイスの地質』 Geologie der Schweiz (2巻,1916~22) 。

ハイム
Heym, Georg

[生]1887.10.30. ヒルシュベルク
[没]1912.1.16. ベルリン,ハーフェル湖
ドイツの詩人。検事の息子に生れ法律を学んだが,ベルリンで若い作家グループと接触するうち文学に転じた。ボードレール,ランボー,ヘルダーリーンの影響を受け,都会の悲惨を虚無的に歌った。『永遠の日』 Der ewige Tag (1911) などの詩集は,初期表現主義の最も重要な成果に数えられている。スケートをしていて水に落ち,不慮の死をとげた。

ハイム
Haym, Rudolf

[生]1821.10.5. グリュンベルク
[没]1901.8.27. アントン
ドイツの哲学者,文芸史家。 1868年ハレ大学教授。哲学的にはドイツ観念論,文学的にはドイツ・ロマン主義の研究にすぐれ,哲学史と文芸史の統一を試みた。主著『ヘーゲルとその時代』 Hegel und seine Zeit (1857) ,『浪漫派』 Die Romantische Schule (70) 。

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百科事典マイペディア 「ハイム」の意味・わかりやすい解説

ハイム

スイスの地質学者。チューリヒに生まれ,チューリヒ大学とベルリン大学に学び,のちチューリヒ大学教授。褶曲(しゅうきょく)山脈,特にアルプスの地質研究に貢献。その著《造山の機構》(1878年)ではスイス東部のテーディ山群の褶曲と押しかぶせ断層を綿密に調査・記述,地球の収縮による横圧力という考えを実証しようとした。《スイスの地質》(1919年―1922年)ではアルプスの地質構造研究を集大成した。

ハイム

ドイツの詩人。初期表現主義に属する。大都会の荒廃のなかの人間の運命をうたい,大戦争と文明没落を予言的な幻像として提示。詩集《永遠の日》(1911年),《生の影》(1912年)など。

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367日誕生日大事典 「ハイム」の解説

ハイム

生年月日:1849年4月12日
スイスの地質学者
1937年没

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世界大百科事典(旧版)内のハイムの言及

【バイエルン】より

…他方,〈新バイエルン〉地方を主要な地盤とする自由派は,帝国宰相ビスマルクと結ぶバイエルン官僚政府の議会での支柱を形成した。 90年代にはいると,修正主義的なフォルマルを指導者とするバイエルン社会民主党の発展,中央党から自立してバイエルン農民同盟を結成した農民たちの下からの運動の展開,そしてこれと対抗しつつハイムGeorg Heim(1865‐1938)の指導下に躍進を遂げたキリスト教農民協会を中心とする中央党左派の台頭があり,第1次大戦の前夜には,中央党や自由派のなかの保守勢力の総結集を背景に初の中央党首班(ヘルトリング)内閣が成立する。ハイムをも抑えて形成されたこの体制に対して,またプロイセンの軍部・重化学工業界主導下の大戦遂行と戦時経済に対して,バイエルンの労働者や農民の不満はしだいに高まった。…

【表現主義】より

…表現は熱狂的・陶酔的になり,連帯への呼びかけの形をとることもあり,また幻想・幻覚的な場面も多く用いられた。 表現主義戯曲の先駆的な役割を果たしたのは,《夢の劇》(1902)を書いたストリンドベリ,誇張した様式で性道徳を痛撃したF.ウェーデキント,硬直した人間を戯画化したC.シュテルンハイムなどであり,表現主義の画家O.ココシュカは,1907年に原型的な人間の関係を示す抽象劇を試みている。またG.カイザーは《カレーの市民》(1914)で新しい人間の誕生を予告した。…

※「ハイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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