ハイド家(読み)ハイドけ(英語表記)Hydes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハイド家」の意味・わかりやすい解説

ハイド家
ハイドけ
Hydes

17世紀に有名になったイギリスの貴族家系。元来はチェシャーの出で,ニコラス (1631没) は下院議員から法曹界に転じ,1626年弾劾されそうになった初代バッキンガム (公)を救った功績により,翌年王座裁判所主席判事となり,反対派を弾圧した。その甥のロバート (1595~1665) も法律家で,清教徒革命には国王派につき,王政復古後,民訴裁判所判事を経て王座裁判所主席判事になった。ニコラスのもう1人の甥がクラレンドン (伯)エドワードで,王政復古期の重鎮になった。その娘アン (37~71) は 54年よりオランダでオランニェ公妃の侍女として仕え,59年ブレダで亡命中のヨーク公ジェームズ (のちのジェームズ2世 ) と婚約し,翌年結婚。彼女の2人の娘メアリー (のちのメアリー2世 ) とアンはともに名誉革命後王位についた。クラレンドン伯の長男ヘンリー (38~1709) は,初めコーンベリー子爵,のち2代クラレンドン伯となり,王妃カサリン (ブラガンザの) に仕えたのち,枢密顧問官 (1680) ,アイルランド総督 (85~86) などをつとめ,名誉革命にはジェームズ2世を支持したが,最後に王を見捨ててウィリアム (3世) のもとに走り,彼の治世初めに陰謀をたくらんだ疑いで投獄された。その弟ロレンス (41~1711) は王政復古時代に下院議員,王室納戸係 (1662~75) ,ポーランド大使 (76) ,大蔵長官 (79~85) を歴任し,その間,81年ロチェスター伯に叙せられた。名誉革命では兄と同じく最後にウィリアムにつき,その治世には国教会擁護派の枢密顧問官として知られ,アイルランド総督 (1700~03) もつとめた。

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