ハイドン(Franz Joseph Haydn)(読み)はいどん(英語表記)Franz Joseph Haydn

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ハイドン(Franz Joseph Haydn)
はいどん
Franz Joseph Haydn
(1732―1809)

オーストリアの作曲家。古典派の作曲家たちのなかで最年長であり、77歳の長寿を全うしたハイドンは、近代的な弦楽四重奏曲の案出、交響曲の完成、交響的なミサ曲の確立など、古典派音楽の基盤を築くとともに、当時のあらゆる楽種に数多くの名作を残した。同時に、ハイドンは当時最大の人気作曲家であり、その真価は20世紀後半に至って初めて再認識されつつある。

[中野博詞]

生涯

ハイドンの一生は、18世紀後半の音楽家たちがたどる典型的な歩みでもある。車大工を父に、貴族侍女を母に、1732年3月31日オーストリアの小村ローラウに生まれたハイドンは、音楽に関しては無から出発する。ハインブルクとウィーン教会の少年合唱隊員となり、一般教養と音楽の基礎を身につける。17歳のころに合唱隊を離れ、ウィーンで音楽家としての自活が始まる。作曲はほとんど独学。音楽の個人教師、そして仲間たちとの楽団による門付(かどづけ)で生計をたてる。

 当時のドイツ、オーストリアにおける音楽家の最高の就職は、王侯貴族のお抱え楽師になることであった。ウィーン社交界の花形トゥーン伯爵夫人の音楽教師を皮切りに、25歳のころにはフュールンベルク男爵のワインツィールの居城に招かれ、最初の弦楽四重奏曲群を、27歳のころにはボヘミアのモルツィン伯爵家の楽長となって最初期の一連の交響曲を作曲する。

 そして、ハイドンの音楽活動を決定づけたのは、29歳の年のハンガリーの大貴族エステルハージ侯爵家副楽長への就任である。エステルハージ家の4代の君主に、5年間の中断があるとはいえ、72歳まで実に38年間にわたって仕える結果となった。最初の5年間の副楽長時代は、アイゼンシュタットの居城で世俗音楽を担当し、交響曲に関してはバロックから前古典派に至るあらゆる様式を試みながら、交響曲独自の様式を模索する。34歳から58歳に至る楽長時代は、ハイドンともっとも息のあった君主ニコラウス侯の統治下であり、最新の設備を誇るオペラ劇場と人形芝居劇場を備えたエステルハーザ宮殿が、音楽活動の中心の場となる。従来の器楽を中心とした世俗音楽に加えて、教会音楽とオペラの作曲指揮がハイドンに課せられる。とくに、エステルハーザ宮殿のオペラ公演は充実を極め、女帝マリア・テレジアも絶賛を惜しまなかった。また、50歳代に入るとハイドンの名声はヨーロッパ全土に広まり、フランス、スペイン、イタリアからも作曲を注文される。

 ハイドンが仕えた3人目の君主アントン侯は音楽に関心がなく、ハイドンに名誉楽長の称号を与え、自由な活動を許す。その結果、58歳から63歳にかけて、ロンドンの演奏会主催者ザロモンの招きで2回にわたってイギリスに渡り、ザロモンが主催する演奏会のために12曲の「ザロモン交響曲集」を作曲指揮する。イギリス国王がハイドンにイギリス永住を勧めたほど、ロンドンにおけるハイドンの人気は圧倒的であった。

 4人目の君主ニコラウス2世侯の希望によって、オーストリアに帰国したハイドンは、エステルハージ家のために六曲のミサ曲を作曲するとともに、ハイドン音楽の総決算ともいうべき二大オラトリオ『天地創造』と『四季』を発表し、大作曲家の名声を高める。

 71歳の年に最後の弦楽四重奏曲を未完で筆を置き、ヨーロッパ各地から贈られた栄誉に包まれながら、1809年5月31日、77年間にわたる音楽的生涯をウィーンで閉じた。

[中野博詞]

音楽の特質と多様さ

ハイドンは、つねに新たな音楽の可能性を追求し続けたきわめて創造的な作曲家であった。しかし、自己の創作意欲が赴くままに、自由に創作したわけではない。当時の作曲活動が一般に注文に応じて行われたように、ハイドンは多くの場合、演奏家の技量や注文主の音楽趣味はもちろん、演奏される場や音楽の時流に至るまで、さまざまな条件を考慮しながら作曲活動を展開していったのである。その意味では、与えられた条件のなかで、つねに新たな独自の音楽を生み出していったところにこそ、ハイドンの偉大さがあるといえよう。したがって、五十数年間にわたって作曲されたハイドンの莫大(ばくだい)な数に上る作品には、多彩な様式変遷がみられる。それは、第一期・模索(1765年以前)、第二期・シュトゥルム・ウント・ドラング(1766~73年)、第三期・聴衆への迎合と実験(1774~80年)、第四期・古典的完成(1781~90年)、第五期・円熟(1791~95年)、第六期・晩年(1796年以降)の六期であり、こうしたハイドンにおける様式変遷は、そのまま古典派の音楽様式の流れと一致する。

 なお今日、ハイドンの作品は、20世紀後半にハイドンの全作品の目録を初めて完成したホーボーケンが付した番号、いわゆるホーボーケン番号でよばれる。

[中野博詞]

『大宮真琴著『ハイドン』新版(1981・音楽之友社)』『M・ヴィニャル著、岩見至訳『ハイドン』(1971・音楽之友社)』『A・C・ディース著、武川寛海訳『ハイドン――伝記的報告』(1978・音楽之友社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android